辻徳法寺で見つかった国内で3番目に古い鉄仏。両手首は失われ、木製のものがはめられていた(立山博物館提供)

辻徳法寺で見つかった国内で3番目に古い鉄仏。両手首は失われ、木製のものがはめられていた(立山博物館提供)

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黒部に鎌倉前期の鉄仏 国内3番目に古く

北日本新聞(2015年2月8日)

■立山信仰と関連も

 黒部市三日市の辻徳法寺にある仏像が、鎌倉時代前期に作られた国内で3番目に古い鉄製の仏像だったことが、立山博物館(立山町芦峅寺)と富山考古学会(西井龍儀会長)の調査で分かった。鎌倉期の鉄仏は、関東・東海地方に集中しており、県内で見つかったのは初めて。寺の言い伝えなどから立山信仰とのつながりも考えられ、関係者は国の重要文化財クラスの発見とみている。(文化部・河波まり)

 富山市で7日に開かれた富山考古学会の総会で発表された。鉄仏は高さ41・4センチ、幅35・3センチ、奥行き約20センチで、「鉄造阿弥陀如来坐像(てつぞうあみだにょらいざぞう)」==と名付けられた。背面には1235年を指す「文暦二年」の銘文があり、鎌倉時代前期の像と特定された。作者を示すとみられる「大工弘□介□」(□は判読不能)と読める文字もあった。両手とも手首から先が失われ、木製のものに替えられていた。

 鎌倉期に作られた仏像の多くは銅製や木製だった。鉄は加工しにくく、さびやすいため、全国でも120体余りしか確認されていない。銘のある古い鉄仏は、鹿沼市上石川薬師堂(栃木)にある1218(建保6)年の「薬師如来坐像」や、法蔵寺(愛知)の重要文化財で1230(寛喜2)年の「地蔵菩薩立像」が知られ、辻徳法寺の仏像は、これらに次いで古い。

 明治ごろから寺宝として伝わっており、辻祐岳住職の話では、寺の過去帳に1900(明治33)年の記録として「立山弥陀原野に安置の阿弥陀仏、女川磯次郎の尽力により当山の法宝となる」と記されていたという。記載通りなら、立山・弥陀ケ原にまつられていた阿弥陀如来像だった可能性もある。

 鉄仏の調査は、県内の研究者が昨年3月、別の調査で寺を訪れた際に、仏像の存在を知ったことをきっかけに始まった。

 富山考古学会の有志でつくる金銅仏調査メンバーが寺を訪れ、鉄仏と確認。調査メンバーでもある立山博物館の加藤基樹学芸員らが詳細な調査を行っていた。

 今後、鉄仏が辻徳法寺に渡った詳しい経緯や、銅ではなく加工の難しい鉄で作った理由などについて、さらに調査を進める。仏像の種類は手指で形作る「印相(いんそう)」で決まり、鉄仏は「上品下生(じょうぼんげしょう)」という阿弥陀如来の形になっていた。木製の手は元の形とは異なる可能性もあり、仏像そのものの種類も検証する。

 加藤学芸員は「全国的にも珍しい鉄仏の発見は、仏教美術を考える上で大きな発見。史料の少ない中世の立山信仰の研究にとっても重要な存在となる」と話している。

 鉄仏は、4月4日から立山博物館で開かれる企画展「立山の至宝展」(北日本新聞社共催)で公開される。


◆阿弥陀如来像◆
 西方にある極楽浄土をつかさどる仏の形をした像。山中に浄土があるという思想を持つ立山信仰では、鎌倉時代に入ってから阿弥陀如来をまつるようになったとみられている。鎌倉時代前期の史料「伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)」(十巻本)には、立山大菩薩として阿弥陀如来の名が記されている。ただ、これまで文献を裏打ちするような同時期の阿弥陀如来像は、立山山中で見つかっていない。

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