高遠城址公園の南ゲートに設置された看板

高遠城址公園の南ゲートに設置された看板

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百名城の高遠城、さくら祭りでPR 伊那の城址公園に看板設置

信濃毎日新聞(2015年4月1日)

 タカトオコヒガンザクラの名所、伊那市高遠町の高遠城址(じょうし)公園に31日、「日本百名城 高遠城」の看板が登場した。1日からの「さくら祭り」で訪れる観桜客に、建物が現存しない高遠城について知ってもらおうと市観光協会が初めて設置した。公園南側の桜は、つぼみが独特の赤みを帯び、膨らみを増している。

 高遠城は、武田信玄の軍師山本勘助らが拡張改築に関わったとされ、城主・仁科五郎盛信が織田勢に攻められ壮絶な最期を遂げたことでも知られる。江戸時代に高遠藩主の保科家や内藤家の居城となり、1871(明治4)年の廃藩置県後に廃城となった。

 百名城は、研究者らでつくる日本城郭協会が2006年に認定。著名な歴史の舞台、時代・地域の代表か―などが基準で、県内では松代城、上田城、小諸城、松本城も選ばれている。看板は横30センチ、縦180センチのアルミ複合板。北、南、グランドゲートの計3カ所に設置した。

 31日は、桜守として高遠城址公園を16年担当した地元の稲辺謙次郎さん(70)が伊那市振興公社を定年退職し、同公園担当からも退いた。「これで一区切り」とし、後を継ぐ桜守に「自分のカラーが出る」ことを期待。自身は市内全域の桜の生態基礎調査に取り掛かる。稲辺さんによると、公園南側の桜は5日前後には開花しそうだ。

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