羽柴(豊臣)秀吉が越前の戦国武将、朝倉氏の滅亡を越前の陣中から丹後の武将に伝える書状が見つかり、福井県が入手したと28日発表した。県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井市)によると、朝倉氏の滅亡を最も早く知らせた文書で、秀吉が当時の戦況を語った貴重な資料としている。
書状は縦26センチ、横42・8センチ。1573(天正元)年8月22日、織田信長による朝倉氏への攻撃に従軍していた秀吉が、舞鶴に拠点を構えた丹後の矢野備後守(びんごのかみ)宛てに送った書状とされる。
一乗谷から逃げた朝倉義景が同20日に大野郡で自害したことや信長の越前出兵の経緯など当時の戦況が詳しく書かれている。秀吉の書記役が記したとみられ、署名代わりの花押(かおう)のみが直筆という。
同資料館に昨年末、書状を所有する島根県の男性から連絡があり、専門家による資料評価委員会で本物と判断。福井県は3月に210万円で購入した。同資料館で5月2日から31日まで展示する。