かやぶき屋根が修復され、一般公開が再開された五十公野御茶屋=新発田市

かやぶき屋根が修復され、一般公開が再開された五十公野御茶屋=新発田市

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新発田・五十公野御茶屋 公開を再開 装い新た優美な趣 かやぶき、外壁を改修

新潟日報(2015年9月4日)

 新発田市の国指定名勝「五十公野御茶屋」の改修が終わり、8月20日から一般公開が再開されている。修復されたかやぶき屋根が優美な趣を感じさせ、隣接する庭園とともに四季折々の移ろいを楽しめる行楽スポットとなっている。

 傷んでいたかやぶき屋根を中心に改修するため、昨年11月から公開を中止していた。改修費用は約2千万円。かやぶき屋根は宮城県石巻市産の葦(よし)材が使われ、傷んでいた箇所を取り換える工法が取られたが、ほぼ一新された。他には外壁を修理するなどした。戸が開け放たれた御茶屋の座敷からは手入れが行き届いた庭園を眺めることができ、来場者はゆったりと堪能していた。

 五十公野御茶屋は、新発田藩主・溝口家が築いたもので、市内では「清水園」と並ぶ名園。初代藩主秀勝が仮住居を構え、築城や藩政全般の構想を練った重要な場所だった。1655年、3代藩主宣直(のぶなお)が仮住居跡に後年御茶屋となる別邸を構えた。4代藩主重雄(しげかつ)が、隣接する回遊式庭園を幕府御庭方だった縣宗知(あがた・そうち)を招いて造ったことに合わせ、別邸を御茶屋として利用するようになった。

 新発田藩では会津街道を通過しての参勤交代の際、城から五十公野までは正装で進み、御茶屋で旅支度に着替えた後に江戸へ急いだという。現在の御茶屋は1814年に建築され、2003年には庭園全体が国指定名勝となった。

 御茶屋を訪れた新発田市の坂井征二さん(73)は「会津街道につながる歴史ある建物で貴重だと思う。庭の景色とも合っていて素晴らしい」と話していた。

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