富山市猪谷関所館(同市猪谷・細入)は、同館で企画展「雪の街道を飛騨へと運ばれた『鰤(ぶり)』の実相」を開いている。ぶり街道とも呼ばれる飛騨街道を通り、越中から飛騨や信州に多くのブリが運ばれていたとされる実態に新史料で迫っている。来年1月24日まで。
猪谷関所館によると、これまでに江戸時代にブリが飛騨へ運ばれていたことを示す史料は、飛越国境の飛騨側の中山口御番所でブリに課税したことを記録した「口役銀取立帳(くちやくぎんとりたてちょう)」のみだったという。
今回は、新たな史料として高山陣屋が飛騨の関所17カ所の口役銀取立帳を品目・年月ごとにまとめた「類寄帳(るいよせちょう)」を調査した成果を紹介。岐阜県歴史資料館に保管されている類寄帳のブリの項目を集計した。
1831年から52年までに飛騨へ持ち込まれた数の平均は「大鰤」が2513本、「小鰤」が2174本だったことを突き止めた。最多は45(弘化2)年で、大鰤・小鰤合わせて1万418本に及んだ。加藤敏一館長は「ほとんどが越中からだったのではないか」と推測する。
企画展では、ブリ以外にもタイやイワシ、サバといった多彩な魚が街道を通ったことも写真付きで紹介している。月曜と祝日の翌日休館。北日本新聞社後援。