平榎亀田遺跡で見つかった堀跡。平榎城の遺構とみられる=富山市平榎(2014年12月撮影)

平榎亀田遺跡で見つかった堀跡。平榎城の遺構とみられる=富山市平榎(2014年12月撮影)

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「幻の城」平榎城か 富山で堀発見

北日本新聞(2015年12月27日)

 富山市平榎(ひらえのき)の平榎亀田遺跡から、戦国時代に築かれ、越後の上杉氏らに対抗する軍事拠点だった「平榎城」のものとみられる堀が、市埋蔵文化財センターの試掘調査で見つかった。富山藩主前田家ゆかりの文書などから、地元で存在は知られていたが、絵図など場所を示す史料がなく、遺構も確認されていなかった。陶磁器なども出土し、研究者の間で「幻の城」とされてきた平榎城の姿が浮かび上がりそうだ。(文化部・近江龍一郎)

 平榎城は、江戸時代中期から明治時代に書かれた前田家伝来の「前田文書」(県立図書館蔵)によると、河内国(現在の大阪府)枚方(ひらかた)城の城主であった埜崎(のざき)政光の子、政彌(まさや)が、1504(永正元)年に常願寺川左岸に建てた。16世紀後半に上杉謙信に攻め落とされ、その後の度重なる洪水で跡形もなく押し流されたとされている。地元では言い伝えとして平榎城の名は知られているが、他に史料はなく、大きさや構造などの詳細は分かっていなかった。

 堀は、県が農地整備に合わせて行った2014年9月からの調査で見つかった。現地ではこれまでも土器の破片が見つかっており、遺跡の存在は知られていたが、調査では、古代のものではない堀や溝を確認。一緒に出土した陶磁器の年代から戦国~江戸時代に造られたと推定した。

 遺構は東西180メートル、南北180メートルに広がり、堀は13カ所で発見。幅は2~3メートルで深さは1・5メートル以上あった。堀で囲まれ、屋敷や砦(とりで)を築いた「曲輪(くるわ)」と呼ばれるエリアが幾つもあった可能性がある。

 発掘は今後も続き、建物の構造や規模など全容の解明が期待される。富山市埋蔵文化財センターの鹿島昌也主査学芸員は「鉄砲玉や火災で焼けた陶磁器など、戦があったことを示す出土品が見つかれば、城を確定する証拠となる」と話す。戦国時代の城郭に詳しい越中史壇会研究委員長の高岡徹さん(65)は「平榎城は県内でもほとんど知られておらず、埋もれていた歴史に光が当たった。調査の進展を見守りたい」と期待を寄せている。

 城を建てた埜崎氏16代当主の政彌は、室町幕府11代将軍、足利義澄の命令で、越中守護代の一人、神保慶宗の支配下に入り、平榎に3万8千石を与えられた。平榎城は、上杉氏ら東からの侵略に対する前線基地として機能していたが、嫡男・政弘の代で落城した。

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