本丸東虎口跡と佐柿関所跡の調査結果を披露した速報展=9日、美浜町佐柿の若狭国吉城歴史資料館

本丸東虎口跡と佐柿関所跡の調査結果を披露した速報展=9日、美浜町佐柿の若狭国吉城歴史資料館

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「東虎口」破壊跡で知る大名政策 美浜町、国吉城址の調査速報展

福井新聞(2016年2月12日)

 福井県美浜町佐柿の若狭国吉城歴史資料館でトピックス展「佐柿リアル!国吉城址史跡調査速報展Ⅲ」が開かれている。昨年7~12月にかけて行った発掘調査の結果を、解説パネルや写真で紹介。本丸の出入り口「東虎口(こぐち)跡」の石垣の壊し方や破壊具合から当時の大名政策や城郭政策が分かったほか、「佐柿関所跡」を今回初めて地下3メートルまで掘って確認した。4月17日まで。

 国吉城は永禄年間(1558~70年)に若狭守護武田義統(よしずみ)に仕えた粟屋勝久が、古城を手直しして築城。朝倉義景の攻撃を7年間阻み、難攻不落として名をとどろかせた。

 調査は本年度で16年目。身近にあっても知られていない城跡を通して郷土史に触れてもらおうと速報展を企画。出土品や写真、解説パネルなど約40点を展示している。

 国吉城本丸には二つの出入り口がある。一つは城下町側にあり正面虎口とも言われる北西虎口、もう一つは越前や敦賀方面をにらむ東虎口。昨年8月ごろから東虎口の本格調査に入った。

 調査の結果、東虎口の石垣が北西虎口のものと同様に徹底的に壊されていたことが分かった。大野康弘学芸員(45)は「小浜藩主の酒井氏が譜代大名だったことから幕府の一国一城令に忠実に従って、徹底的に破壊したのだろう」と話す。崩落した石垣の下からは新たに石列が検出され、城門があったかどうかの重要な手掛かりになると見られる。また、出土遺物から鉄釘(くぎ)が発見され、城門もしくは本丸上に建物があったことが推測される。

 現在民家が建っている関所跡については、昨年末に重機で町有地の西側部分を発掘。関所の表土面の層まで深さ約3メートルに及んでおり、1960年代ごろに椿トンネルを開削した時に残土でかさ上げしていたとみられる。大野学芸員は「江戸、明治時代の城下町付近の姿は現在とは、全く違った様相だった」と話す。

 来年度は、東虎口と准藩士屋敷の発掘調査を行う。問い合わせは若狭国吉城歴史資料館=電話0770(32)0050。

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