歴代作品を紹介する7代目の玉川基行さん

歴代作品を紹介する7代目の玉川基行さん

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燕の玉川堂が創業200年 門人巣立ち伝統紡ぐ

新潟日報(2016年4月17日)

 燕市で鎚起(ついき)銅器を製造する玉川堂が、ことしで創業200年を迎えた。江戸時代後期に始まった工房からは多くの門人が巣立ち、地域に一大産地を形成する原動力となった。7代目の玉川基行さん(45)は「伝統を守り、今後もブランドを高めていきたい」と語る。16日からは燕市の市産業史料館で、歴代作品を展示する企画展が開かれている。

 玉川堂は1816(文化13)年、初代玉川覚兵衛が創業。弥彦山から産出される良質な銅を材料に、当初は鍋ややかんなどの日用品を作っていた。続く2、3代目は工芸品にも力を入れ、彫金師を招いて華やかな装飾を施した香炉などを製作。海外の博覧会で人気を博し、地域に彫金技術が根差すきっかけにもなった。

 一方、長い歴史の間には苦難もあった。1908(明治41)年に火事で工房を喪失。戦時中は銅が不足し、一時は休業を余儀なくされた。戦後5代目が復興し、高度経済成長と共に業績を伸ばしたが、バブル崩壊後は売り上げが減少。経営危機に陥って職人の半数を解雇したこともあったという。

 2003年に当主となった基行さんは、タンブラーやぐいのみなどの新商品に取り組んだほか、海外に販路を拡大。日本文化を伝える道具として、中国や韓国、ロシアなどで茶器が人気を集めている。

 地域産業に与えた影響は大きい。基行さんは「燕が銅器の産地になったのは玉川堂から独立した職人の力があったから」と話す。大正時代には市内で約30軒、200人の銅器職人が活躍した。現在でも10軒、40人ほどの職人が伝統を引き継いでいる。

 来年には東京・銀座、その後は海外に直営店を開き、さらなるブランド力向上に力を注ぐ。基行さんは「将来は燕三条のものづくりの企業と協力し、職人の手仕事を見るために世界中から観光客を呼べる地域にしたい」と話している。

 企画展は歴代作品約70点を展示し、5月22日まで燕市産業史料館で開催。鎚起銅器の歴史や技法を紹介した図録(2千円)が販売される。入館料は一般300円。5月2日以外の月曜休館。問い合わせは市産業史料館、0256(63)7666。

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