国名勝「おくのほそ道の風景地」への追加指定が答申された気比神宮=福井県敦賀市曙町(福井県提供)

国名勝「おくのほそ道の風景地」への追加指定が答申された気比神宮=福井県敦賀市曙町(福井県提供)

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気比神宮を「おくのほそ道の風景地」指定 文化審議会が答申

福井新聞(2016年6月18日)

 国の文化審議会は17日、史跡、名勝などの新規・追加指定を馳浩文部科学相に答申し、福井県内では敦賀市の気比神宮を名勝「おくのほそ道の風景地」に追加指定するよう求めた。今年10月ごろの官報告示で正式決定し、県内の名勝は14カ所になる。小浜市の史跡「後瀬山城跡」についても、現在の指定範囲に隣接する若狭武田氏館跡を対象に加えるよう答申した。

 「おくのほそ道」は、俳聖松尾芭蕉が1689年に陸奥、北陸路を旅して書いた紀行文。敦賀には中秋の名月を見ようと旧暦8月14日(新暦9月27日)夕方から3日間程度滞在した。気比神宮で見た月などを詠み、おくのほそ道に4句を収めた。

 国は2014年3月、芭蕉が俳句を残した名所などのうち、往時がしのばれる風景が残る10県13カ所を名勝に一括指定した。現在は11県24カ所に増えているが、福井県内は含まれていなかった。

 指定範囲は気比神宮の境内ほぼ全域に当たる3万1317平方メートルで、1645年に建立された大鳥居が現存している。本殿などほとんどの建物は1945年の空襲で焼失したが、芭蕉が訪れた当時のままの配置で再建された。県生涯学習・文化財課の担当者は「中世や江戸時代の絵図と比べても、よく似た景観が保たれている」と説明する。

 後瀬山城は、1522年に若狭守護の武田元光が築き、その後約80年にわたり歴代国主の居城となった。山頂の「御殿」と呼ばれる主郭(しゅかく)を中心に2方向の尾根上に大小の建物が点在していた。石垣や土塁、堀などの遺構が残っており、1997年に35万4358平方メートルの範囲が史跡に指定された。

 追加指定される館跡は8231平方メートルの範囲で、山の北側の麓に位置する小浜市男山の旧小浜小跡地にある。2006~13年度に市が発掘調査し、館を囲む高さ約2メートルの石垣や建物の遺構を確認した。

 国の重要伝統的建造物群保存地区になっている小浜西組に隣接し、同課の担当者は「館跡が見学できるように整備されれば、まち歩きコースの一つとして期待できる」と話している。

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