真田氏とのかかわりをうかがわせる善念寺の「六文銭」=上越市東本町3

真田氏とのかかわりをうかがわせる善念寺の「六文銭」=上越市東本町3

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[行ってみました '16上杉・真田巡り旅]上越 高田の寺に「六文銭」

新潟日報(2016年8月10日)

 戦国の世に「日本(ひのもと)一の兵(つわもの)」と称された武将真田信繁(幸村)。NHK大河ドラマ「真田丸」の放映で地元長野県上田市はもちろん、真田氏とゆかりが深い上杉氏が居城を構え、現在は同市と姉妹都市の上越市も盛り上がりをみせる。上杉と真田、上越と長野のつながりを見つめようと記者がゆかりの地を訪ねた。

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 上越市内に信繁の足跡はない-。取材早々、壁にぶつかった。日本近世史が専門の上越教育大大学院の浅倉有子教授は「信繁は上杉の人質に送り出されたが、春日山城にいたという確たる史料はない」という。

 途方に暮れていると、上越郷土研究会会長の花ケ前盛明さん(78)が教えてくれた。「真田家の家紋『六文銭』が屋根にある寺が高田地区にあるんですよ」

 高田駅を出て県道「上越大通り」線を歩くと、高さ25メートルはありそうな善念寺(東本町3)の本堂が見える。近づいていくと屋根には確かに六文銭があった。

 「長野でも、真田と縁がある寺院の屋根には六文銭があるんです」と前住職の滋野憲雄さん(73)。真田とどのようなつながりがあるのか尋ねた。善念寺は鎌倉時代、上越で開山した。同寺初代住職浄賢の父親西仏は、真田ゆかりの長野県小県(ちいさがた)郡出身なのだという。「六文銭は、明治期に住職が付けたと思うが、なぜ真田の家紋を付けたのかは分からない」。花ケ前さんによると、市内で六文銭のある寺社は善念寺だけという。

 真田と上越の関係はここで途切れた。しかし、本当に信繁は上杉の人質だったのだろうか。

 あらためて浅倉教授に伺った。古文書「景勝一代略記」などによると、1585(天正13)年、真田の拠点沼田(群馬県)をめぐる徳川家康との合戦で、信繁の父昌幸は上杉景勝に救援を求め、代わりにまだ10代の信繁を人質に送ったと記されている。信繁は上杉家家臣須田満親が城将を務めた海津城(現在の松代城、長野市)に入った後、春日山に向かったとされるが、春日山での生活を記す史料は見つかっていない。

 浅倉教授は「歴史研究家の間でも意見が分かれる」と前置きしながらも、「春日山に信繁がいた可能性はあると思う」ときっぱり。花ケ前さんも「人質なら、景勝に謁見(えっけん)のため春日山城に向かったとみるのが自然でしょう」と語る。

 果たして信繁は上越にいたのか。信繁が大坂の陣で豊臣方武将として戦ったのは、春日山で過ごし上杉の「義の心」を受け継いだからに違いない。善念寺の六文銭を見つめながら考えた。

【メモ】春日山城跡は、えちごトキめき鉄道春日山駅から徒歩約50分。城跡周辺には上杉謙信が幼少のころに修行した林泉寺、上杉ゆかりの春日神社がある。善念寺は同鉄道高田駅から徒歩約15分。高田瞽女(ごぜ)として知られる杉本マセさんら一門が眠る墓がある。

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