紅花を積んで敦賀湊に入る船を描いた屏風=敦賀市立博物館

紅花を積んで敦賀湊に入る船を描いた屏風=敦賀市立博物館

福井県 敦賀・若狭

敦賀湊の役割探る 日本遺産認定特別展

福井新聞(2017年9月21日)

 敦賀市などが日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に認定されたことを記念する特別展「敦賀湊(みなと)と北前船交易」が市立博物館で開かれている。ニシンや昆布などの取引を示す文書や、大型和船の設計図など約100点の史料を通して、北前船交易の中で敦賀湊が果たした役割などを紹介している。10月15日まで。

 江戸時代初めの敦賀湊には、大量の米や大豆が運ばれていた。しかし、瀬戸内海を航海して直接大坂を目指す「西廻(まわ)り航路」が整備されると減少し、代わりに北海道からニシンなどの輸送が増えた。

 展示では、山形県有形文化財の青山永耕筆「紅花屏風(べにばなびょうぶ)」が目を引く。紅花は、西廻り航路が整備された後も敦賀に荷揚げされた商品で、屏風には帆を広げた船が湊に入る様子や「洲崎の高燈籠(たかとうろう)」に似た燈籠が描かれている。敦賀湊から京都まで運ばれたことを示す問屋の確認書類もある。

 当時は敦賀など寄港地の商人によって、多額の資金を融通する仕組みが発達していた。敦賀に荷を預けて、それを担保に営業資金を借り入れ、再び航海に出ていたことが分かる文書などが並んでいる。

 敦賀では江戸時代終わりごろから大型の和船も造られており、船の設計図や模型を展示した。敦賀で多く作られていた船くぎの納品書なども写真パネルで説明した。

 遭難の危機から生還したときにまげを切って板に貼り付けて神社に奉納する「まげ絵馬」、地区から船乗りの奉公者を出す際に船主と結んだ契約書もある。船乗りが逃げたら代わりの奉公人を出すとも記され、航海の厳しさを知ることができる。

 市立博物館の高早恵美学芸員は「西廻り航路成立以降も敦賀は重要な湊だった。展示を通して敦賀の商人たちが日本海の各地の湊や大坂を結んで、さまざまな取引をしていたことを感じてもらえれば」と話している。

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