県立歴史館が入手した武田信玄の「感状」。第2次川中島合戦で戦功があった地侍を褒めたたえている

県立歴史館が入手した武田信玄の「感状」。第2次川中島合戦で戦功があった地侍を褒めたたえている

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川中島合戦、信玄の「感状」発見 県立歴史館、特別公開へ

信濃毎日新聞(2018年3月2日)

 現在の長野市を舞台に戦国大名の武田信玄(晴信)と上杉謙信が激しく争った川中島合戦で、味方に付いた土着の武士の戦いぶりを信玄が褒める「感状」が見つかった。県立歴史館(千曲市)が入手し、1日に発表。同館によると、川中島合戦の状況を直接伝えた史料は少なく、同館も所蔵していなかった。6〜11日、同館で一般向けに特別公開する。

 信玄の感状は、1555(天文24・弘治元)年に現在の長野県庁近くの旭山にあった城の領有を巡る第2次川中島合戦で、現在の須坂市の地侍だった蘆(あし)川氏に宛てた書状。敵方の首を一つ討ち取ったことを褒めたたえ、今後の働きに期待する内容で、「晴信」の朱印が押してある。大きさは縦18・5センチ、横47センチ。

 同館によると、蘆川氏は現在の須坂市の鮎川流域に勢力を広げていた武士一族の一つ。感状には「頸壱(くびひとつ)討ち捕るの条神妙の至り感じ入り候(そうろう)」とあり、信玄が武功を喜ぶ様子が生々しく記されている。武田氏滅亡後、蘆川氏は上杉方に付いたという。

 武田氏の歴史に詳しい笹本正治館長(66)は「川中島合戦は信玄と謙信の武勇に意識がいってしまうが、本当は首を持っていって恩賞をもらう血なまぐさいもの。歴史の実態も知ってほしい」と話す。

 感状の存在は知られていたが、長く現物は確認されていなかった。京都の古書店にあることが分かり、同館は今年1月、約240万円で購入。笹本館長は「有名な川中島合戦の文書を初めて入手できた。本来は長野県に伝わるべき重要な史料で、県外に流出させずに済むことも大事」と意義を説明。「県民が川中島合戦とはどんなものかを考える手掛かりになる」と話す。

 特別公開は午前9時〜午後5時(入館は午後4時半)。戦国時代に現在の上田市の国衆(在地領主)だった室賀家から寄贈された史料のうち、信玄の子勝頼や謙信の後を継いだ景勝、徳川家康に関係する文書も公開する。

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