河津三郎らと富山とのゆかりを解説した特設コーナーをPRする八木住職

河津三郎らと富山とのゆかりを解説した特設コーナーをPRする八木住職

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境内に曽我兄弟の石塔 婦中・常楽寺、大河ドラマ「鎌倉殿」に登場

北日本新聞(2022年8月9日)

 富山市婦中町千里の常楽寺に、放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した武士の河津(かわづの)三郎やその子である曽我十郎、五郎の兄弟をしのぶ石塔があるとみられることが分かった。専門家によると、曽我兄弟の伝記「曽我物語」を読んだ越中人が建てた可能性がある。寺は河津らと富山とのゆかりを紹介する特設コーナーをつくり、PRしている。

 八木正道住職(50)らが寺の歴史を調べていたところ、富山藩士が書いた江戸末期の地誌「越中志」に、「河津の三郎」という人物の墓として石塔が寺に立っていたとの記述を見つけた。飛鳥時代の702年創建とされる常楽寺の境内には、中世以降の石塔や石仏が150基余り残っており、その中に墓に当たるものが存在する可能性があるという。

 5月、越中の武士を取り上げる企画展を開いていた射水市新湊博物館の松山充宏主査学芸員に相談すると、三郎は平安末期の伊豆(静岡県)の武士だと分かった。三郎は力が強く、相撲の決まり手の一つ「河津掛け」の由来になった人物とされる。

 三郎は日本三大仇(あだ)討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」を起こした曽我十郎、五郎兄弟の父。兄弟は1193年、三郎を暗殺した工藤祐経(すけつね)を討った。鎌倉時代末に兄弟の伝記「曽我物語」が作られ、武士だけでなく庶民にも広く支持された。

 松山主査学芸員によると、曽我物語に感激した全国の読者が当時、各地に兄弟や三郎をしのんで供養の石塔などを建てたという。三郎の供養塔は曽我兄弟のものと並んでいる例が多く、常楽寺でも3人の石塔がそばに建てられた可能性がある。松山主査学芸員は「曽我物語が室町時代以降の越中人の人気を集めていた証拠になり得る」としている。

 寺の本堂に三郎の姿を描いた江戸時代の錦絵とともに、配布用の解説プリントを用意した。八木住職は「関東の武士の伝説が遠く離れた富山に残されていることを広く知ってほしい」と話している。

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