大坂の陣に参戦した武将で美浜町にあった国吉城にゆかりのある武将を紹介した企画展=福井県美浜町の若狭国吉城歴史資料館

大坂の陣に参戦した武将で美浜町にあった国吉城にゆかりのある武将を紹介した企画展=福井県美浜町の若狭国吉城歴史資料館

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大坂の陣参戦武将に光 真田丸舞台裏を紹介 国吉城資料館

福井新聞(2016年12月20日)

 徳川家と豊臣家が争った「大坂の陣」(1614~15年)に参戦し、福井県美浜町佐柿の国吉城にゆかりがある武将を紹介した企画展が同町の若狭国吉城歴史資料館で開かれている。若狭の地の武将の出生や、つながりが分かり、NHK大河ドラマ「真田丸」の舞台裏に触れることができる。28日まで。

 夏の陣、冬の陣の2度の戦いが行われ、豊臣家が滅んだ。この合戦にまつわる写真やパネル約40枚が、大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)や大坂城天守閣のレプリカなどと共に展示されている。

 戦国時代に国吉城を築いた粟屋勝久の孫、助太夫の消息が分かる史料「若州三方郡国吉篭城(ろうじょう)記」の原本を特別展示。豊臣方の直臣として出陣して戦いに敗れたが、なんとか生き残り各地を転々としていたことが読み解ける。

 真田丸に登場した木村重成の父、定光が国吉城主だった頃に城下町を造ったことも説明。重成は大坂城一の美男子とされていたことや、首を討ち取られた「首級(しゅきゅう)」になっても見苦しくないようにとかぶとの内に名香をたいていたことで家康らを感心させたエピソードを紹介している。

 小浜藩筆頭の家臣で国吉城代だった多賀良利が率いる一番備(いちばんぞなえ)は徳川方として戦い、60余りの首を討ち取る活躍をみせたが、備前島に移動時、隊列を乱して後発の軍に抜かれる失態をしたことも示した。

 大野康弘学芸員は「国吉城ゆかりの武将が戦国最後の大合戦でそれぞれの立場で戦いを繰り広げ、活躍したことを多くの人に知ってほしい。大河ドラマを思い出しながら楽しんでもらえれば」と話している。

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