科学的手法で建築年代が裏付けられた合掌造り家屋の村上家=南砺市上梨

科学的手法で建築年代が裏付けられた合掌造り家屋の村上家=南砺市上梨

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18世紀の建築裏付け 五箇山の重文合掌造り3棟

北日本新聞(2017年10月13日)

 南砺市五箇山地域の合掌造り家屋の代表的3棟が、伝承通り18世紀初期から中期にかけて建てられていたことが、山形大理学部の中尾七重客員研究員(59)の放射性炭素建築年代調査で裏付けられた。市によると建築年代が科学的手法で立証されたのは初めて。部材の一部に戦国時代のものが使われている家屋も見つかり、合掌造りのルーツが大きくさかのぼる可能性も出てきた。中尾研究員は13日、市内で研究成果について講演する。

 中尾研究員は2006年から放射性炭素建築年代調査による建築物の研究に取り組み、寺院の国宝指定などに成果を挙げている。

 中尾研究員によると、合掌造りは形や間取りから建てられた年代を読み取るのが難しい上、建物の由緒や建築年月日などを記した棟札や文献が残っている家屋は少なく、言い伝えなどを基に建築年代を推計するケースが多かった。合掌造りが成り立った経緯も解明されておらず「知名度や保存活用では日本民家のトップクラスに位置しているにもかかわらず、基礎的なデータが少ない」と指摘する。

 市内外の合掌造り9棟を調査し、五箇山地域では15年にいずれも国重要文化財の「羽馬家」と「村上家」、「岩瀬家」で梁(はり)や柱のサンプルを採取した。羽馬家と村上家はほぼ推定通り18世紀初期、岩瀬家は推定を1世紀程度さかのぼる18世紀中期に建てられたとみられることが判明した。

 さらに、上平地域から日本民家園(神奈川県川崎市)に移設された合掌造りを調べたところ、戦国時代に当たる16世紀の部材が一部使われているものが確認された。再利用されたとみられるが、部材には構造の異なる建造物に用いられた時に残る痕跡がないため、中尾研究員は戦国時代にも同じようなつくりの建物があったとみる。「当時このような大きさの建物が個人の家だったとは考えにくい。合掌造りのルーツは浄土真宗の布教の拠点だった『念仏道場』なのではないか」と話す。

 南砺市は一連の研究成果について知ってもらおうと、13日午後6時から、同市田向(平)の五箇山荘で中尾研究員を招いた講演会を開く。市の此尾治和ブランド戦略部参事・文化・世界遺産課長は「建築年代が科学的に裏付けされたことは今後の保存や活用、さらに訪れた人に情報を伝える上で大きな意義がある。今後の調査にも期待したい」と話している。 

◆放射性炭素建築年代調査◆
 生物が大気から取り込んだ放射性炭素(C14)が死後、一定の割合で崩壊、窒素に変化していくという法則に着目し、出土品に付着した植物などに残るC14の量を測定して経過時間や年代を割り出す方法。今回の調査はつまようじの4分の1以下となる10ミリグラム程度の少ないサンプルで、高精度の測定を行った。

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