石崎光瑤の「熱国妍春」などの展示が進む会場=金沢市の石川県立美術館

石崎光瑤の「熱国妍春」などの展示が進む会場=金沢市の石川県立美術館

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光瑤「出発」の地に見参 「若冲と光瑤」23日開幕 石川県立美術館

北國新聞(2018年6月22日)

 23日に金沢市の石川県立美術館で開幕する北國新聞創刊125周年記念「若冲(じゃくちゅう)と光瑤(こうよう)」(本社など主催)の陳列作業は21日も行われ、南砺市(旧福光町)出身の日本画家石崎光瑤(1884~1947)の華やかな秀作が並んだ。光瑤にとって金沢は、画家として一歩を踏み出した地でもある。出発の地で、憧れの天才絵師伊藤若冲(1716~1800)と、時空を超えた競演を果たす。
 20代で若冲の唯一無二の世界に魅せられた光瑤は、30代に入ると自分だけの絵を求めてインドを旅する。今展では、熱帯の自然美を力強く表現した代表作「熱(ねっ)国妍春(こくけんしゅん)」(京都国立近代美術館蔵)や、突然のスコールを美しく描いた「燦雨(さんう)」(南砺市福光美術館蔵)などが出品される。
 光瑤の作品を貫くのは、華やかで品格あふれる江戸琳派(りんぱ)の画風だ。それには、12歳で金沢に出て、最初に師事した日本画家山本光(こう)一(いつ)の存在がある。
 光一は、江戸琳派の祖である酒井抱一(ほういつ)の弟子、山本素堂(そどう)を父に持ち、北陸の美術界にも大きく貢献した。光一は北國新聞社社友でもあり、創刊時から紙面に登場する。1896(明治29)年の北國新聞創刊1千号記念には、光一の絵を木版画にして読者に配布した。
 この1千号記念配布の2カ月後に、光一に弟子入りした光瑤は、その才能を見いだされ、琳派の流れをくむ「光瑤」の雅号も授かった。全国展にも出品、画家として歩み始めた。
 その後、光瑤はさらなる飛躍を求めて京都に出る。光一に師事したのはわずか2年ほどだったが「光瑤は琳派や加賀の文化の華やかさが好きだったのでしょう。作品は生涯にわたってきらめきを持ち続けた」と福光美術館の渡邊一美(ひとみ)副館長は指摘している。
 同展は、若冲と光瑤という近世と近代を代表する花鳥画家にスポットを当てた北陸初の展覧会となり、若冲の代表作「仙人掌(さぼてん)群鶏(ぐんけい)図(ず)襖(ふすま)」(重要文化財、大阪・西福寺蔵)など52点が展示される。7月22日まで。
 前売り券は一般1千円、中高生600円、小学生400円となる。
 期間中、専門家による記念講演も行われる。24日は若冲研究の第一人者で美術史家の狩野博幸さん、7月7日は北斎館(長野県小布施町)の安村敏信館長、同14日は渡邊副館長がそれぞれ講師を務める。
 石川テレビは23日午後6時から「美の巨人たち 『伊藤若冲』天才絵師が仕掛けた"千年の謎"」を放映する。「若冲と光瑤」展でも展示される黄金に輝く「仙人掌群鶏図襖」に隠された謎を解き明かす。
 若冲が残した「見る目のある人を千年待つ」という意味の言葉の謎に迫るほか、花鳥画の最高傑作「動(どう)植綵絵(しょくさいえ)」にちりばめられた隠し絵も取り上げる。

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