福井県若狭町鳥浜に9月15日、福井県年縞博物館がオープンした。化石や遺物などの年代を測定する際の「世界標準のものさし」となった水月湖年縞(すいげつこねんこう)が世界に認められるまでには、中川毅・立命館大教授ら多くの研究者の苦労、そして奇跡があった。中川教授に長い研究の道のりを振り返ってもらった。
1991年、広島大助教授だった安田喜憲氏が若狭町鳥浜の鳥浜貝塚と同時代の環境を調べようと、三方湖の堆積物を掘削した一環で水月湖も調査した。湖底から見つかったのが「水月湖年縞」だった。
中川教授「いわば偶然に発見されたようなものなんです。僕は当時大学4年生で、周りの大人たちが『すごい堆積物だ、珍しい』と騒いでいたけれど、それが学問的に貴重だということは漠然としか理解できていなかった。ただ、研究者を志していたそのときに発見の現場に立ち会えたことは、大きな幸運だった」
水月湖年縞は、約7万年分の堆積物が約45メートルにわたってしま模様となり積み重なっていた。年縞はドイツやグリーンランドなど各地で発見されているが、連続した年縞では水月湖年縞が世界一の長さを誇り、「奇跡の湖」と言われる。
「川はまず三方湖に流れ込んで砂や泥を落としてから、水月湖に流れていくため土石の流入がない。さらに水深が34メートルと深い上、周囲を囲む山々に風が遮られて湖水がかき混ぜられない。そのため湖底の水には酸素が供給されず、堆積物をかき混ぜる生き物はすむことができないんです。また、周辺の断層の影響で水月湖底が沈下し続けているので、年縞が毎年約1ミリずつ積み重なっても埋まることがないのです」
年縞に含まれる植物の葉や花粉を使って過去の気候を調べることは、水月湖で年縞が見つかる以前から世界各地で行われていた。一方、年縞を遺物などの正確な年代を測る「ものさし」として活用できないかと、水月湖年縞の分析に着手した研究者が、当時国際日本文化研究センターにいた北川浩之氏だった。
「北川さんは僕の5歳年上で、安田教授が年縞を発見した際に助手として現場にいました。当時北川さんを除いて誰一人、水月湖年縞をどう使うとどういう成果が得られるかという道筋を立てられなかった」
「1993年から北川さんは『世界のものさし』をつくるため、膨大な量のしま模様を1枚1枚数え、その中からものさしをつくる材料である炭素を抽出していった。気が遠くなるような仕事に、大学院生だった僕は扱いきれない研究素材だと逃げ出したくらいです。北川さんの論文は98年に米科学誌『サイエンス』に掲載されました」
しかし、北川教授が発表したデータは、98年に初めて世界で定められた「ものさし」には採用されなかった。