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筆跡、一茶たどる 信濃町で展示、成長と衰え感じて

信濃毎日新聞(2018年9月26日)

 信濃町の一茶記念館が、町出身で江戸時代の俳人小林一茶(1763〜1827年)の筆跡の変化を紹介する特別展「一茶銘品展〜筆跡の変遷を追う〜」を開いている。署名に使う「茶」の字に着目し、書簡や短冊など34点から筆跡が生涯にわたり変化することを紹介。渡辺洋学芸員は「一茶の成長と衰えを筆跡から感じ取ってほしい」とする。

 長野市出身の郷土史研究家・故小林計一郎さんらの研究を参考に、渡辺さんが4期に分類。江戸に出て俳人、溝口素丸に入門し修業していたころは「スタンダード」(渡辺さん)な文字だが、俳人・画人与謝蕪村の筆跡をまねようとしていたころは「茶」の払いの部分が八の字のように。江戸俳壇の中心人物、夏目成美と交流を重ねるようになると筆跡は安定して全体を左右対称に書くようになり、脳梗塞を患って体が不自由になった晩年は、震える手で書くためか文字の判別が難しくなる。

 会場には、81年ぶりに実物を確認した一茶直筆の短冊も展示した。昭和期の俳人荻原井泉水(せいせんすい)が1937(昭和12)年に刊行した「一茶眞蹟(しんせき)集」の記述を最後に行方が分からなくなっていたが、都内の収集家が骨董(こっとう)店から購入、今年6月に同館に寄託した。

 記されている句は、一茶が43歳の時に詠んだ「春の日や暮ても見ゆる東山」で、四国や九州を行脚して修業した際に訪れた京都を懐かしむ内容。渡辺さんによると、署名の「茶」の文字には蕪村の筆跡をまねたころの特徴が顕著に表れ、貴重という。「一茶は、自分の個性をどのように表すか考えていたのではないか」と推測している。

 11月29日まで。午前9時〜午後5時。一般500円、小中学生300円。問い合わせは一茶記念館(電話026・255・3741)へ。

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