吉田松陰や佐久間象山について書かれている書簡=高岡市立博物館

吉田松陰や佐久間象山について書かれている書簡=高岡市立博物館

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幕末の動乱つぶさに 高岡市立博物館、坪井信良の書簡公開

北日本新聞(2018年10月4日)

 江戸時代最後の将軍、徳川慶喜の侍医(じい)として知られる高岡出身の坪井信良(しんりょう)(1823~1904年)が思想家の吉田松陰らによる海外密航未遂事件(下田踏海(とうかい)事件)など幕末の動乱についてつづった書簡を高岡市立博物館が新たに収蔵した。6日から同館で初公開する。

 書簡は信良が福井藩主、松平春嶽(しゅんがく)の侍医だった1854年6月、僧侶の伯父宛にしたためた。

 松陰らが伊豆・下田に停泊中だったペリー提督の旗艦に乗り込んで密航を図ったが失敗し、思想家の佐久間象山らと罪に問われたことなど事件の詳細が記述されている。

 主に象山を擁護する立場で話は進み「象山が松陰を使者として送ったという者がいる」「象山の才能をねたんで有罪にしようとする者がおり、あきれ果てる」などと指摘。「いつか米国との利益争いが発端で紛争になる恐れがある」などとも記している。

 高岡市立博物館によると、信良が兄宛に送った書簡は複数あるものの、伯父宛の書簡が見つかったのは初めて。坪井信良書簡研究の第一人者の宮地正人東京大名誉教授は「信良の塾と象山の塾は近くにあった。両者には接触があったかもしれない」とし、象山について多くの記載がある理由を分析する。

 信良は高岡最古の町医者とされる佐渡家の8代目佐渡養順(ようじゅん)の次男。仁ヶ竹亮介主査学芸員は「高岡ゆかりの人物が学問を磨いて出世し、幕府にも関わっていたことを知ってほしい」と話した。

 展示は12月9日まで。月曜休館、入館無料。

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