19世紀のパリ万博で越前和紙が受賞した賞状なども並ぶ=福井県福井市の県立こども歴史文化館

19世紀のパリ万博で越前和紙が受賞した賞状なども並ぶ=福井県福井市の県立こども歴史文化館

福井県 福井・永平寺

松本源太郎宛て夏目漱石の手紙を初公開 こども歴史文化館

福井新聞(2018年11月10日)

 明治の文豪夏目漱石が、福井県越前市生まれの教育者松本源太郎(1859~1925年)に宛てた手紙2通が、福井市の福井県立こども歴史文化館で初公開されている。漱石にとって松本は熊本の第五高等学校(現熊本大)教授時代の上司で、漱石は松本の推薦もあって英国に留学した。留学前と帰国後に書かれた手紙には感謝の意がつづられており、専門家は「松本への最大限の敬意が見て取れる」としている。

 松本は越前府中領主・本多家の家老の長男。帝国大(現東京大)でフェノロサから哲学を学んだ。第一高等中学校(のちの旧制一高、東京大教養学部の前身)教諭となり、松平春嶽の孫の英国留学時に監督役として渡英、オックスフォード大で学んだ。帰国後は第五高等学校教頭、山口高等学校長、学習院女学部長、宮中顧問官などを歴任した。

 第一高等中学校教諭時には漱石が生徒として在籍しており、松本が漱石に英語を教えていた可能性がある。

 初公開されている漱石の手紙のうち、英国留学前の1900(明治33)年6月17日付の手紙は「いろいろと御高誼をいただき深く感謝しております」と始まり「才能もなく学問も足りない私が誤って(英国留学生に)選ばれた事は(中略)先生の御尽力のおかげと深く感謝しております」と候文(そうろうぶん)で感謝の意をつづっている。

 帰国後の03(明治36)年1月28日付の手紙は「留学中は、とかく音信を途絶えたままで過ごしてしまい失礼したことをお許しください」との旨を伝え「以前のとおりお付き合いをさせていただき、目をかけていただきたいと思います」などと候文で記している。

 手紙の内容は55年刊行の新書版「漱石全集」に掲載されているが、現物は公開されてこなかった。今年6月に松本の資料展と講演会を開いた越前市中央図書館が東京都内に住む松本のひ孫に連絡し、手紙を保管していることが判明。5月に初公開された福井市出身の国文学者芳賀矢一宛ての漱石のはがきと合わせて、こども歴史文化館で公開することにした。

 漱石の書簡研究の第一人者、中島国彦・早稲田大名誉教授(72)は「丁寧に書かれ、松本への感謝や最大限の敬意がよく表れている」。越前市の郷土史研究家齊藤隆さん(67)は「松本は心理学や論理学など外国の書物を翻訳し授業に使った先進的な教育者で、もっと光を当てるべき人物」と話している。

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