越前焼産地で明治から昭和にかけて生産されていた土管にスポットを当てたテーマ展「小曽原、土管屋さんがいた時代」が福井県越前町の県陶芸館で開かれている。鉄道排水に用いられた大型の土管をはじめ、土管の製造に使われた木型など21点が並ぶ。3月24日まで。
越前町小曽原を中心に県内にはかつて土管の製造所が9カ所あり、1872(明治5)年から1975(昭和50)年ごろまでの約100年間にわたり製造されていた。テーマ展では1世紀の間、産地を支えた産業の一つに土管があったことを知ってもらおうと企画した。
製造が始まった当初の土管は、木型や機械は使わず、ろくろや輪積み成形で作られていた。薪窯で焼かれていたため越前焼らしい緑がかった自然釉が美しい物もあった。
時代が変わるにつれ、木型を使用する物、さらに機械を使った大量生産に移り、最盛期には年間100万本を超える土管が出荷されていたという。一方でコンクリートなど新素材の登場で徐々に需要は減少し、75年ごろには生産が終了した。
展示では時代ごとの土管のほか、生け花草月流家元の故勅使河原宏さん(1927~2001年)が、土管製造機を使って作ったオブジェなども披露している。