曽祖父が金沢から持ち帰った刺しゅうの作品(右)をスライドで紹介するポリャンスカヤさん=金沢市の石川県国際交流センター

曽祖父が金沢から持ち帰った刺しゅうの作品(右)をスライドで紹介するポリャンスカヤさん=金沢市の石川県国際交流センター

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金沢の記憶語る「鶏図」 ひ孫 シンポで明かす

北國新聞(2019年10月5日)

日露戦争(1904~05年)のロシア人捕虜が金沢から母国へ持ち帰り、サンクトペテルブルクの子孫に伝わる刺しゅうの作品があった。金沢を訪問中のひ孫が4日、明らかにした。曽祖父が金沢に暮らした証しとしてソ連時代の戦火でも守り抜いた家宝で、制作者などの手掛かりを求めている。一枚の写真から始まった交流は、114年間受け継がれた作品によって、さらなる物語を編みだす可能性が出てきた。
 水運エコノミストであるエレナ・ポリャンスカヤさん(62)の曽祖父、コンスタンチン・シュヴェデ中佐=当時(44)=は、バルチック艦隊の砲艦「オリョール」号に乗務。1905年5月の日本海海戦に敗れた後、金沢へ移送され、高岸寺(寺町)で収容所生活を送った。
 ポリャンスカヤさんは3日、次男とともに金沢市に着き、4日に石川県国際交流センターで開かれた日ロ友好シンポジウム(北國新聞社特別協力)で、鶏の図柄の作品をスライドで紹介した。
 幅80センチ、高さ1・5メートルあり、絹とみられる布製で、黒地に2羽の白いおんどりが闘っているような姿を描き、文字情報はない。以前は裏に日本語の新聞が貼ってあったという。
 「この鶏図は、日露戦争とはまた別の戦争を生き抜き、現代まで受け継がれたのです」
 ポリャンスカヤさんは第2次世界大戦中、ナチス・ドイツによるレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲戦の際、食べ物や明かりに窮しながらも母が大切に守り、自分の代に伝えたことを涙ながらに語った。
 詳細については全く分からないとし、「金沢の専門家の鑑定などで制作の経緯が分からないだろうか」と希望を語った。

 シンポジウムでは、同じバルチック艦隊の巡洋艦「ウラジーミル・モノマフ」号に乗っていたアレクサンドル・パブロフ少尉のひ孫、アンナ・バルミンツェワさん(50)=モスクワ在住=も家族の歴史を語った。
 ミハイル・セルゲェーフ在新潟ロシア総領事、高岸寺の集合写真に写った捕虜の子孫を探した草野輝久さん(75)=金沢写真院前店主=、石川県ロシア協会の亀田良典副理事長、基調講演した立木(たつき)写真舘(徳島市)の立木さとみさんがパネリストとしてコメントした。金沢星稜大の本康(もとやす)宏史教授が進行役を務めた。
 閉会後、ホテル金沢で協会主催の歓迎晩さん会が開かれ、約30人が親睦を深めた。県ロシア協会の宮前正明副会長が歓迎の言葉、セルゲェーフ総領事が謝辞を述べ、砂塚隆広北國新聞社常務の発声で乾杯した。劇団アンゲルスが捕虜と芸妓の愛を描いた五木寛之さんの「朱鷺(とき)の墓」の劇を披露した。

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