制作者が判明した鏝絵絵馬「大黒天」=放生津八幡宮

制作者が判明した鏝絵絵馬「大黒天」=放生津八幡宮

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鏝絵「大黒天」は小杉左官作 新湊・放生津八幡宮、子年に幸願い1、2日公開

北日本新聞(2019年12月29日)

 射水市八幡町(新湊)の放生津八幡宮に保管されてきた鏝絵(こてえ)絵馬「大黒天」が、明治末~大正初期の小杉左官による作品だと分かった。大黒天はネズミを使いとし、人々に幸せをもたらす神として信仰されていることから、来年の干支(えと)の「子(ね)」にちなんで1月1、2日に同神社で公開する。

 「大黒天」は、旧新湊町放生津東町(現射水市八幡町)の網元の角谷九平が、放生津八幡宮の末社、魚取社に奉納した。角谷は1904(明治37)年に新湊遠洋漁業生産組合を設立した1人で、1918(大正7)年の米騒動の際には旧新湊町に救済金を寄付し、町から表彰を受けた人物。「大黒天」には角谷の名は記されているが、制作者名は汚れで判然としなかった。

 同神社の大伴泰史宮司が今年11月ごろに制作者名の汚れを落とすと、「松長竹次」と読むことができ、射水市新湊博物館へ相談。同館の松山充宏主任学芸員の調査で、制作者は小杉左官の松長竹次郎(?~1920年)と分かった。

 小杉左官は、現在の射水市小杉地域で技術を受け継いできた。江戸時代から壁屋の町として優れた職人を多く輩出し、明治以降には鏝絵(こてえ)の名工とうたわれた竹内源造が活躍した。

 同神社の近くには、竹内源造が昭和初期に手掛けた地蔵堂が残る。松山主任学芸員は「源造以前の小杉左官の作品が新湊に伝わっていたのが分かる史料」と説明。大伴宮司は「干支にふさわしい作品。参拝者には大黒天がもたらす幸せにあやかってほしい」と話している。

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