立山開山伝説を広めるために使われたとみられる矢尻が、立山町岩峅寺の元宿坊家で見つかった。伝説は、佐伯有頼(ありより)が熊に矢を射たところ、熊が阿弥陀如来に姿を変え、開山するよう告げたとされる。熊に矢を放つ場面は立山曼荼羅(まんだら)に描かれているが、史料が見つかったのは初めて。調査した立山博物館は「立山での布教活動の一端が見える貴重な資料」としている。
矢尻が見つかったのは、立山信仰の布教を担ってきた宿坊の一つ「多賀坊(たがぼう)」の子孫宅。立山博物館が、国の重要有形民俗文化財の追加指定に向け、「立山信仰用具」に関する史料を調査していた際、土蔵内の引き出しから発見した。
先が二股に分かれた鉄製の「蟇股(かりまた)鏃(やじり)」で、長さ11・4センチ、幅最大4・8センチ。形状から中世に作られたものと推測される。長さ20センチほどの木箱の中に、朱印などと共に収められていた。追加指定されることになった160点にも含まれる。
雄山山頂にある雄山神社峰本社の什物(じゅうもつ)(宝物)を記した古文書には、天狗(てんぐ)の爪、鬼の牙などと共に「蟇股鏃 有頼射熊」と記されていた。立山の宗教者は信仰を広める用具として什物を用い、登頂した参詣者に披露していたとみられる。
明治期の廃仏毀釈(きしゃく)により、峰本社の什物は、一緒に安置されていた本尊・阿弥陀如来、不動明王の像と共に山頂から岩峅寺に下ろされた。その後の所在は不明で、これまでは廃棄や売却されたとみられていた。多賀坊には峰本社の建て替え時期を示す棟札も残っていたことから、立山博物館は矢尻が同じ峰本社にあったものとみる。
立山信仰を巡っては、曼荼羅に描かれている天狗の頭蓋骨と伝えられるイルカの骨が見つかるなど、近年発見が相次いでいる。調査した加藤基樹学芸員は「信仰がどのように浸透したかを研究する材料になる」と話す。
■立山開山伝説
越中国司・佐伯有若(ありわか)の子である有頼が、立山を開いたと語り継がれてきた伝説。大宝元(701)年、逃げた白鷹を捕まえようと山に入った有頼が遭遇した熊に矢を放ったところ、熊が阿弥陀如来に姿を変え、信仰の道を開くよう告げたとされる。