見つかった刺繍図案を確かめる横山さん(中央)=金沢市内

見つかった刺繍図案を確かめる横山さん(中央)=金沢市内

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明治の加賀繍図案見つかる 山代温泉の旅館に 工業学校「繍物科」で使用

北國新聞(2021年10月4日)

  〈巾着装飾や花鳥図「貴重な資料」〉

 金沢工業学校(現石川県工高)で刺繍(ししゅう)の教材として使われた明治期の図案が3日までに見つかった。巾着袋やかぶとの装飾、花鳥図などを題材としており、1887(明治20)年の同校創設時からあった「繍物(しゅうぶつ)科」で活用されたとみられる。明治の工芸教育の実相や、海外市場の開拓で成長を遂げた加賀繍(ぬい)の近代史を物語る貴重な資料だとして、関係者が注目している。

 図案が見つかったのは、加賀市山代温泉の旅館「たちばな四季亭」。明治生まれの館主、和田重太郎が遺した工業学校関連資料の中にあった。和田は同校の専門画学部で学び、初代校長の納(のう)富(とみ)介次郎に教えを受けた。卒業後は納富の要請で富山県工芸学校(現高岡工芸高)などで教えた。

 石川県立歴史博物館の鶴野俊哉普及課長が以前から資料を調査しており、このほど、「美術応用図」「美術工芸図案 織物染物刺繍押画の部」などと記された一群の束を見つけた。

 刺繍用とみられる図案は十数枚あり、伝統的な図柄である「千鳥」や、鶴と花を組み合わせたデザイン、巾着袋、かぶと、幼児用のエプロンの絵などが確認された。季節の花や鳥を写実的に描いた絵など、題材は幅広い。

 歴博収蔵の金沢工業学校規則などによれば、刺繍の技術を学ぶ繍物科は開校時に設けられ、当初は女性39人、男性1人の計40人が在籍。人数は裁縫科、陶画科に次いで3番目に多かった。

 鶴野課長によると、4年後の91年には繍物科の後継機関として高等女子授産場が設置され、93年の米シカゴ万博に出品した。授産場設立には納富や工業学校幹事で刺繍工場経営者の川越政勝が関わった。

 鶴野課長は、明治期の石川県が加賀繍の魅力を海外に紹介することに力を注いだとし「図案は、伝統的な加賀繍の意匠に近代デザインの考え方を導入しようとしたことを示す貴重な資料だ」と述べた。

 加賀繍の歴史編さんに取り組む県加賀刺繍協同組合の理事長、横山佐知子さん(53)は鶴野課長から連絡を受け、図案を確認した。横山さんは「加賀繍の図案集自体、とても珍しい。これまで知られていなかった明治の加賀繍の歴史が見えてくる」と語った。

 ★和田重太郎(わだ・じゅうたろう、1873~1950)山代温泉の田中屋旅館(現たちばな四季亭)の家に生まれる。石川県工業学校で学び、富山県工芸学校教員のほか、香川県工芸学校(現高松工芸高)校長心得を務めた。1902年に地元に戻って家業を継いだ後も石川県工芸諮問員として県内産地の発展に貢献。文化人の交流にも尽力し、山代をたびたび訪れた北大路魯山人に絵画の手ほどきをした。

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