新たに見つかった史料を紹介する本多准教授=加賀本多博物館

新たに見つかった史料を紹介する本多准教授=加賀本多博物館

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加賀八家・本多家に厚遇示す新史料 5代藩主綱紀の書状発見

北國新聞(2022年3月11日)

  ●金沢学院大・本多准教授
 加賀藩前田家の重臣「加賀八家(はっか)」の有力者に与えられる陪臣叙爵(ばいしんじょしゃく)枠3人のうち、2人を本多家の親子で占めた時期のあることが、金沢学院大の本多俊彦准教授の調査で分かった。5代藩主綱紀の書状で判明した。加賀八家については、藩祖利家の正妻まつの血を引く前田土佐守家が最上の家格とする説が一般的だが、本多准教授は「藩政期の序盤は本多家が他家より厚遇されていたことを示す史料」としている。

 本多准教授は本多家が所有する古文書を調べる中で、1701年(元禄14)12月に5代加賀藩主綱紀が本多家2代政長(まさなが)に宛てた書状を発見した。

 書状には、それまで政長と前田対馬守家当主の孝(たか)貞(さだ)、長家当主の尚連(なおつら)の3人に当てていた叙爵枠について、孝貞が出家してできた空席に本多家3代政敏(まさはる)を入れると書かれていた。

 一方、前田土佐守家の当主・直堅(なおかた)が叙爵枠に入るのは、その翌年に枠が4人に広がり、政長が出家して枠から外れた後となる。

 本多准教授は「藩主家が本多家の代替わりの際に叙爵の空白ができないように配慮しており、ほかの家にはない心配りだ」と指摘する。

 このほか、6代藩主となる前田吉徳の元に、5代将軍徳川綱吉の養女・松姫がこし入れすることが決まったことを伝える書状が、政長、政敏、政敏の子で4代政質(まさかた)に送られていたことも分かった。本多准教授は「本多家が加賀藩内で、これまで考えられていた以上に重きを成していた」と語った。

 これらの新史料は加賀本多博物館(出羽町)で11日に始まる春季特別展「『加賀八家』本多家の確立」(北國新聞社後援)で公開する。

 ★加賀八家 加賀藩の重臣のうち、石高が代々1万石を超え、藩政をつかさどる「年寄」や軍事の要職「人持組頭」を務める八つの家を指す。石高順に本多家(5万)長家(3・3万)横山家(3万)前田対馬守家(1・8万)奥村宗家(1・7万)村井家(1・66万)奥村支家(1・2万)前田土佐守家(1・1万)がある。

 ★陪臣叙爵 陪臣は将軍家に仕える直臣に対する語で、大名の家臣を指す。基本的に陪臣に官位が与えられることはないが、将軍家に近い御三家や御三卿、前田家の重臣は、特例として大名並みの官位「従五位下」に任じられた。

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