赤々と燃える柱松の周りを神主や修験者が練り歩いた柱松神事

赤々と燃える柱松の周りを神主や修験者が練り歩いた柱松神事

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炎に祈り、戸隠神社「柱松神事」 観衆ら厳粛さ体感

信濃毎日新聞(2015年5月11日)

 長野市戸隠の戸隠神社中社で10日、神仏習合の戸隠信仰を今に伝える「柱松(はしらまつ)神事」があった。雑木やネマガリダケを四角すいの形に組んだ高さ約2・5メートルの三つの「柱松」を燃やし、神主や修験者が周りを練り歩いて五穀豊穣(ほうじょう)などを祈った。3年に1度の行事で、今年は7年目に1度の戸隠神社式年大祭(26日まで)と重なった。

 柱松神事は、明治維新まで戸隠山顕光寺奥院(現在の奥社)、中院(中社)、宝光院(宝光社)それぞれで行われていたとされる。柱松神事を2003年に復活させた際、中社で三つの柱松を燃やすことにした。

 この日は、桜が舞う境内に、天狗(てんぐ)の面を着けるなどした神主や修験者らがほら貝を吹きながら到着。ササの葉で体に熱湯をかける「身そぎの舞」、刀で場を浄める「三剣の舞」の後、柱松に火打ち石で点火した。赤々と燃え上がる柱の周りを般若心経を唱えながら練り歩き、最後に地元の小学生の女の子が「直会(なおらい)の舞」を披露した。

 神事を見守った松本市の浅輪泰子さん(79)は「厳かな感じで、健康と家内安全を祈った」。同神社権禰宜(ごんねぎ)で神事の実行委員長、横倉英起さん(66)は「火を受けて幸せに平和に暮らしてほしい」と観衆に呼び掛けていた。

 戸隠はかつて修験道の霊場として全国に知られ、柱松神事は鎌倉時代から行われていたとされる。明治政府の修験道廃止令などで途絶えたが、戸隠信仰を後世に伝承しようと、史料調査に基づき03年の式年大祭で復活した。

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