20日に行われる新発田市赤谷地区の奇祭「赤谷どんつき祭り」は700年以上続く伝統の祭りだ。地元や市内外の男性参加者が鉢巻きと足袋、ふんどしを身にまとい、地区の山(さん)神社で激しくもみ合う。奇祭と呼ばれるのは姿、形だけが理由ではない。ある武将の無念を晴らしたいという武士らの強い思いがあるのだという。
祭りの起源は、平安時代末期の源平合戦とされる。現在の山神社の場所に赤谷城本丸を築き、一帯を支配した武将、城長茂(じょう・ながもち)。1181(治承5)年、平家方の長茂は1万の大軍を信濃に差し向け、源義仲の討伐に動いた。義仲は当時の平氏政権に反旗を翻し、信濃で挙兵していた。
両軍は現在の長野市で激突し、この交戦は「横田河原の戦い」として知られる。軍勢は長茂1万人に対し、義仲は3千人。だが地理的要因などもあって長茂は敗北を喫する。その後は奥州会津への敗走を経て赤谷に戻り、失意の日々を送ることになる。
「長茂を支えた落人が始めたのが『赤谷どんつき祭り』と言い伝えられている」と話すのは、赤谷地区の郷土史を研究する杉原明則さん(73)。当初の目的は、長茂を打ち負かした義仲に対する呪詛(じゅそ)だったとされる。
しかし、「祭りが始まった時は、呪詛とは表立って言えなかっただろう」と杉原さん。当時は、呪いやたたりと天変地異との関係が強く信じられていた時代。明るみに出れば、報復が予想されたからだ。
どんつきは「胴突き」がなまったものとする説が主流だが、杉原さんは「(敵将を)突くという意味も込められていたのではないか」と指摘する。呪詛の色彩が濃かったのは700年以上の歴史の中で初めの頃に限られ、その後は五穀豊穣(ほうじょう)や家内安全などを願って開かれるようになった。
今年も「よいよい、わっしょい」という掛け声とともに、約40人が山神社の拝殿や境内でもみ合う。厳しい寒さの下、もみ合うさなかに雪がかけられ、体を清めるスタイルは長い間変わらないという。山神社の総代代表、杉原文雄さん(64)は「長い間絶えずに続いてきた祭りには、誇れる意義と面白さがある。ぜひ見に来てほしい」と話している。
◎男性参加者を募集
新発田市赤谷地区では、赤谷どんつき祭りの参加者を募集している。おおむね20~60歳の男性が対象。20日午後7時開始。定員10人。参加費2千円(食事代と保険料含む)。さらしと白足袋(ゴム底禁止)は持参する。
15日締め切り。問い合わせは地区祭協賛会事務局、0254(28)2341。
新発田市観光協会は見学ツアーを募集。午後2時、JR新潟駅南口を出発、新発田市カルチャーセンター経由、赤谷公民館着。夕食付きで参加費はJR新潟駅発が4千円、新発田市カルチャーセンター発は3500円。定員40人。
15日までに申し込む。問い合わせは市観光協会、0254(26)6789。