経典の写真について説明する五十嵐さん=富山市愛宕町の自宅

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上杉謙信の戦利品「大般若波羅蜜多経」富山から持ち去り奉納

北日本新聞(2016年7月11日)

 戦国武将・上杉謙信が越中での戦利品にしたと伝わる大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみたきょう)は、現在の富山市押上周辺から持ち去られていたことが、県文化財保護審議会委員の五十嵐俊子さん(66)=同市愛宕町=による調査で裏付けられた。大山歴史民俗研究会の久保尚文会長は「これまで推論はあったが、史料に基づいて確認したのは初めて。当時の謙信の進出範囲がうかがえる重要な成果」と話している。

 経典の写経は1386年から96年にかけ、現在の富山市新保地区や婦中、大沢野地域の有力者の寄進を受けて進められたとされる。越中に攻め入った謙信が戦利品として16世紀後半に魚沼神社(新潟県小千谷市)に納めた。現在は同市教育委員会が保管。五十嵐さんは昨年6月に現地を訪れ、実物を調べた。

 これまでは経典に記された「宮嶋」の地名から、同じ地名が残る現在の小矢部市の神社から持ち帰ったとの説もあった。しかし、五十嵐さんは寄進者の所在地から離れているため「宮嶋」は現在の富山市婦中町宮ケ島ではないかとする。

 五十嵐さんは複数の巻に「於越中国婦負郡宮川庄押上七社宮」との記載があるとし、「謙信が押上から戦利品として持ち帰ったと考えると理解しやすい」としている。

 当時、押上を含む宮川庄は越中有数の繁栄したエリアだったという。謙信が宮川庄にあった経典を戦利品にしたことについて、久保会長は「自身の越中支配を誇示する狙いもあったのではないか」とみる。

 経典に残る地名や寄進者の名前から現在は神通川で隔てられている富山市の婦中、大沢野地域と新保地区が、写経された14世紀末に陸続きだったと考えられることも分かった。

 五十嵐さんは「写経した当時は、用紙を確保するだけでも大変な時代。越中の中世の人たちがどんな思いを込めて事業に取り組んだのか興味深い」と話している。成果は3月発行の大山歴史民俗研究会機関誌「大山の歴史と民俗」第19号で発表した。

 大般若波羅蜜多経 全600巻の仏教経典。西遊記に登場する三蔵法師こと唐の高僧、玄奘(げんじょう)が訳した。上杉謙信が納め、魚沼神社(新潟県小千谷市)が所蔵していたものは、14世紀末の越中の人々の筆跡が見られる貴重な史料とされる。

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