沖縄県に赴任した小林に宛てて、伊沢多喜男が送った1917年11月20日付の手紙

沖縄県に赴任した小林に宛てて、伊沢多喜男が送った1917年11月20日付の手紙

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小林次郎宛て手紙公開 飯綱町出身、最後の貴族院書記官長

信濃毎日新聞(2017年9月9日)

 明治憲法下の貴族院の事務職員トップ「書記官長」を最後に務め、初代の参議院事務総長でもあった上水内郡飯綱町出身の小林次郎(1891〜1967年)宛ての手紙68通が町内で見つかり、町内の「いいづな歴史ふれあい館」が一部を特別展で公開している。県内出身の国会議員や官僚との交流がうかがえ、「日本近代史の資料として貴重」と同館。10日、特別展の開催を記念した講演会を開く。

 小林は旧制長野中学校(現長野高校)や東京帝国大(現東大)を卒業後、1940(昭和15)年に書記官長となった。戦後は現行憲法制定に向けた憲法問題調査委員会の委員となり、47年に参議院の初代事務総長に就任した。

 手紙は、小林の父親で旧高岡村(現飯綱町)の小学校長などを務めた頼利氏が暮らした家にあった。町が移住体験に使うため、所有者から借り、工事をしていた昨年2月に発見。小林宛ての16〜41年の68通のほか、頼利氏宛てなどの54通も見つかった。

 県内出身の国会議員などからの手紙が多く、特に貴族院議員や東京市長を務めた伊沢多喜男(1869〜1949年、伊那市出身)、戦前に総理秘書官や衆院議員を務めた松本忠雄(1887〜1947年、上水内郡小川村出身)と親密に交流していたことが分かる。

 26歳で内務省から沖縄県へ赴任した小林に伊沢が宛てた17(大正6)年11月の手紙は、「宿所が気に入らなかったら県庁に昼夜泊まり込んで働くがいい。県庁職員は家族のように思い、誠心を尽くして職務に努めるように」と書かれており、任地での生活に悩む小林を励ます内容。

 昨年出版された「小林次郎日記」の翻刻の責任者で、亜細亜大法学部准教授の今津敏晃さん(歴史学)や同館などが、手紙の解読や内容の解釈を進めている。同館の小山丈夫学芸員は「政界を取り巻く当時の政治家や官僚の動きに新しい知見が生まれる可能性がある」と期待する。

 10日は今津准教授が小林の生涯などについて講演する。飯綱町民会館で午後1時半〜3時。聴講無料。特別展は11月5日まで。

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