久世さんが恋人の女性に宛てた手紙から見つかった自作の詩「河」。企画展で初公開する

久世さんが恋人の女性に宛てた手紙から見つかった自作の詩「河」。企画展で初公開する

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久世光彦さんの詩的な恋文 高志の国文学館で初公開へ

北日本新聞(2015年6月25日)

 富山高校出身で、作家としても活躍した演出家の故久世光彦さんが、学生時代に恋人だった富山市に住む年上の女性に宛てた手紙など計39通が見つかった。揺れ動く心情を詩的な文体でつづっており、ロマンチシズムあふれる久世作品が生まれた背景を知る貴重な資料となりそうだ。(文化部・近江龍一郎)

 手紙やはがきは、女性の遺族が保管していた。久世さんが、埼玉県で過ごした大学浪人時代の1955年と、東京大に入った56年の2年間に出されたものが32通で大半を占める。企画展を準備していた高志(こし)の国(くに)文学館(同市舟橋南町)の調査で見つかった。

 久世さんは両親が富山市出身。終戦直前の45年7月に東京から富山へ疎開し、富山高校を卒業するまで9年近く過ごした。久世さんのエッセー「誰かサロメを想わざる」(91年)によると、手紙を送った女性とは17歳のとき、総曲輪の喫茶店で出会った。京都の大学の哲学科を出た10歳年上の美しい人妻で、人目を忍んで付き合うようになり、高校卒業後もしばらく関係が続いたと記している。

 手紙は、都会での暮らしぶりなど近況報告が中心。教養ある年上の恋人の気を引こうとする様子もうかがえる。55年9月の手紙では、立ち寄った銀座の喫茶店を「ドビュッシイがいやに、物憂く、マリイ・ローランサン〈犬と遊ぶ女〉の複製画が殆(ほとんど)ど表情を失って壁にあるのです」とつづった。恋歌と題した自作の詩「河」を送り、感想も求めたこともあった。

 離れ離れの日々が長くなるにつれ、女性への思いを率直にぶつける内容が増える。「お手紙をいたゞいた次の日から、もう次の手紙を待っているのです」「たった一日でもいゝ(中略)あなたの姿を見たい」と抑えきれない気持ちを書いている。2人の関係が終わった時期は、はっきりしないが、57年以降、手紙のやりとりは減り、60年元日付の年賀状が最後となっている。

 高志の国文学館の小林加代子主任学芸員は、海外の作家の名をちりばめ、詩的な文体を多用した点に注目。「女性を喜ばせようと工夫を凝らしている。この経験が、ドラマの演出や小説を書く土台になったのではないか」と話す。

 手紙の一部は7月11日から高志の国文学館で始まる企画展「あの日、青い空から-久世光彦の人間主義」(北日本新聞社後援)で初公開する。

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