経沢さん(右)から豆腐作りを教わる佐伯さん

経沢さん(右)から豆腐作りを教わる佐伯さん

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宿坊の豆腐作り復活 立山博物館と芦峅寺住民、立山信仰の食文化継承

北日本新聞(2023年4月26日)

 立山信仰の拠点・立山町芦峅寺の食文化を継承しようと、立山博物館と住民らが協力し豆腐作りを復活させた。同博物館によると、レシピなどの記録が残っておらず、完全再現とはならないものの、専門家の協力で当時に近いとみられる材料や作り方を試した。同博物館は伝統的な食文化として「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されていることから「江戸時代に登拝者をもてなした立山の食文化にも注目する必要がある」と指摘している。

 芦峅寺で「とっぺ」と呼ばれる豆腐は、1978年ごろに最後の豆腐店が閉店して以降作られていない。博物館によると、かつて使われた木製の型箱と豆腐を盛り付けた大皿が国重要有形民俗文化財「立山信仰用具」に指定されている。博物館は食文化に関する調査研究で宿坊での接待料理として出された御膳を再現したことがあり、御膳の一品だった豆腐を作る文化を後世に残そうと考えた。

 博物館が文化財の型箱と同じ形の型箱を制作し、郷土料理研究家の経沢信弘さん(富山市太郎丸)に協力を依頼。経沢さんによると、かつての豆腐は現代とは異なり、保存性を重視した固い豆腐が一般的。当時に近づけるため、今も豆腐作りが続く南砺市五箇山地域で学び、「芦峅豆腐」の再現を目指した。

 芦峅寺の湧水や麓の末谷口にある白雪農園の坂口創作さんが栽培した大豆「エンレイ」を採用し、石川県能登地方のにがりを使った。21日は芦峅ふるさと交流館で住民が経沢さんから教わりながら、2・4キロの大豆から約50人前の豆腐を作った。

 博物館によると、宿坊では豆腐をとっぺ皿に乗せ、御膳と共に提供した記録が残る。聞き取りなどの調査では、たまりしょうゆで冷ややっこを食べたことも分かっている。

 細木ひとみ学芸課係長は「どんな作り方でどんな豆腐だったか記録がなく、知る人もいない」としつつ、「豆腐が作られ、宿坊で提供されていたのは確か。立山信仰に関わる食文化の調査を続けたい」と語る。

 交流館にある「まんだら食堂」では、宿坊料理を再現した御膳を提供している。同食堂代表の佐伯照代さんは「芦峅では結婚式など特別な時に、ごちそうとして豆腐を振る舞う文化があった」と言い、「今後は特別な時に豆腐を作り、伝統や文化を残していきたい」と話している。

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