県内有数のスイカ産地である志賀町で、20~40代の若手生産者5人が奮闘している。ミュージシャンや大工、JA職員が「第二の人生」としてスイカ栽培の道に飛び込み、高齢化で存続が危ぶまれていた生産グループを盛り上げている。14日に今季の初出荷にこぎつけた新米農家たちは「志賀のスイカを守っていく」と生産拡大に意欲を見せている。
●数年で「部会消滅か」
志賀町は金沢や羽咋などに次ぐスイカ生産地で、20年ほど前までは35軒が栽培していた。ただ、高齢化や後継者の不在などで2016年には7軒まで減少。JA志賀・西瓜部会の米沢裕二会長(75)は「あと数年で部会が消滅するのではないかと考えていた」と振り返る。
部会のピンチを救ったのは、志賀のスイカづくりの現場を目にしてきた若者だった。
16年、JA志賀職員でスイカを担当していた谷内博亮さん(37)=安津見、実家のスイカ農家を継ごうと決心した山岸篤史さん(28)=大津=がともに部会に入った。
志賀町には砂丘地や赤土など生産に適した土地があり、同JAが若手の営農支援に力を入れていることも就農を後押しした。
20年には元ウエディングプランナーの中川一幸さん(46)=小浦、大工の北野克幸さん(36)=中能登町=が転身し、高齢の生産者から畑を借りてスイカづくりを始めた。22年には、東京で音楽活動をしていたという松浦正博さん(46)=矢蔵谷=がUターンして農家となった。
現在の部会員は9人で、計8・7ヘクタールの農地を使って「能登すいか」を栽培しており、米沢部会長は「若手がやる気満々で励みになる。おいしい志賀産スイカをもっと食べてもらいたい」と話している。