武田信玄を支えた武将を描いた「武田二十四将図」。左下に描かれた「真田兵部」が真田昌輝(長野市立博物館提供)

武田信玄を支えた武将を描いた「武田二十四将図」。左下に描かれた「真田兵部」が真田昌輝(長野市立博物館提供)

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越前真田家400年脈々と 幸村と対決?子孫「先祖は誇り」

福井新聞(2016年5月5日)

 NHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集める戦国武将、真田幸村。真田一族と福井との意外な関係をご存じだろうか。幸村のいとこにあたる真田信正(のぶまさ)が、3代福井藩主松平忠昌(初代結城秀康の次男)に仕えたことが機縁。以来400年にわたって続く「越前真田家」の歴史をひもといてみた。

 幸村の父、昌幸。大河ドラマでは草刈正雄さんが演じ、抜群の存在感を放っている。昌幸には信綱(のぶつな)と昌輝(まさてる)という2人の兄がおり、ともに武田家に仕え猛将として知られたが、織田信長・徳川家康の連合軍と戦った長篠の合戦(1575年)で2人とも亡くなった。

 長野市立博物館の原田和彦学芸員らによると、昌輝の長男信正は当時まだ2歳で、昌幸が引き取った。しかし昌幸は関ケ原の合戦後、九度山(和歌山県)に配流になり、後ろ盾をなくした信正は、後に越後高田藩主となる松平忠輝(ただてる)(家康の六男)に召し抱えられた。忠輝が改易となり、松平忠昌が1618年に高田藩主を継ぐと、信正は20年に600石を得て家臣に。4年後、忠昌が越前に移り、信正も従ったとされる。

 以来、昌輝―信正の家系は「越前真田家」として現在まで福井で続いてきた。

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 真田信正が、高田藩主の忠輝や福井藩主の忠昌の家臣となった経緯は詳しくは分かっていないが、福井市立郷土歴史博物館の印牧信明学芸員は「信正は、昌幸や幸村のそばで上田合戦などをくぐり抜け、戦功や経験を積んだ人物。真田家一族という血筋も申し分なく、武を好んだ忠輝や忠昌にとっては欲しい人材だったのでは」と推測する。

 1615年の大坂夏の陣で、2代福井藩主松平忠直(ただなお)率いる越前勢は真田幸村を打ち破り、大阪城本丸に一番乗りを果たした。忠直の指揮下で戦った弟の忠昌は越前勢の先手として武勇を発揮。また、忠輝は徳川方の一員として、福井藩の後方で義父の伊達政宗隊と陣を張った。

 夏の陣当時、信正は忠輝に仕えており、印牧学芸員は「戦国時代を生き抜いてきた信正の経歴を考えれば参陣していたのではないか」とみる。

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 現在、昌輝から数えて13代目の子孫が県内に住んでいる。「上田合戦などでは徳川と相まみえたのに、夏の陣では徳川方で、いとこの真田幸村と敵対していたかもしれないのだから、歴史の巡り合わせは不思議なもの」。そう話すのは、子孫の男性(75)だ。大河ドラマは欠かさず見ていると言い「真田昌幸と違い、昌輝は早くに亡くなり、歴史の陰に埋もれた人物」と話し、真田一族の家系を意識したことはそれほどないという。

 信正は幼少で実父を亡くし、育ての親が配流されるものの、徳川家親藩の福井藩に召し抱えられるという数奇な運命をたどり、命脈を絶やさず子孫が続いてきた。男性は「真田の血と一族を守ろうと懸命に生き抜いてきた先祖の歴史は誇り」と話す。

 一方、戦国時代の研究者の間では、昌幸の長兄信綱の息子も福井藩士となるが跡継ぎがいなかったため、家伝の文書を信正の子孫に譲り渡したとの見方がある。長野市立博物館の原田学芸員は「昌幸の父幸綱や兄信綱あてに送られた武田家の書状など貴重な文書は、長野の松代真田家でなく、越前真田家に伝わっている可能性がある。そうした意味でも越前真田家は重要な家柄」と指摘。同館は今秋に開く特別展で越前真田家について紹介する予定だ。

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