「けんか山」で知られる高岡市の無形民俗文化財「伏木曳山(ひきやま)祭」が15日、伏木地区中心部で行われた。夜には本町広場と法輪寺前で提灯山車(ちょうちんやま)を激しくぶつけ合う祭りの目玉「かっちゃ」があり、熱気は最高潮に達した。
提灯約360個をともした山車には、雨に備えて透明なカバーが掛けられた。「イヤサー、イヤサー」との掛け声とともに山車は登場。向かい合った2基は笛の合図で一気に加速し、「バーン」という激しい音を立ててぶつかり合った。見物客は歓声を上げ、深夜までぶつけ合いは何度も繰り返された。
山車は日中、美しい花傘を広げて町中心部を練った。本町広場であった出発式では、塩谷雄一同祭実行委員会長があいさつし、高岡市ゆかりの女優、風吹ジュンさんが「皆さんのお祭りにかける心意気を見せてほしい」と述べた。島一郎総々代が勇ましく出発を宣言し、一番山車の石坂町を先頭に奉曳(ほうびき)を始めた。
同祭は、港町を鎮護する伏木神社の春の祭礼として行われる。山車は、石坂町、寶路(ほろ)町、湊町、中町、本町、上町の6町が受け継いでいる。
■桟敷席で迫力満喫
15日の伏木曳山(ひきやま)祭では、今回初めて桟敷席が設けられた。県内外の観光客ら約800人が重さ約8トンの山車(やま)のぶつかり合いを間近で観覧し、「かっちゃ」の迫力を肌で感じていた。
北陸新幹線開業を受け、市と同祭誘客促進協議会など地元の団体が伏木本町の本町広場に桟敷席を設けた。有料(2千円)で約400席用意し、午後7時半からの第1部、同10時半からの第2部ともほぼ完売した。
最前列で観覧した高岡市上関、会社員、中村俊也さん(53)は、かっちゃの衝撃で飛び散った木の破片が目の前に落ち、「激しさに圧倒された。祭りに懸ける曳き子の熱い思いも伝わってくる」と話した。
北陸新幹線を利用した観光客や、大手旅行会社のツアー担当者らも訪れ、港町ならではの祭りの雰囲気に浸った。
■風吹ジュンさん花山車から餅まき 子どもら武者姿で練り歩きも
高岡市の伏木神社春季例大祭「伏木曳山(ひきやま)祭」が15日、同市伏木地区で開かれた。子どもたちによる母衣(ほろ)武者行列や、市ゆかりの女優、風吹ジュンさんらが参加して餅と小判のレプリカをまいた「廻船(かいせん)問屋 十七軒町(じゅうしちけんちょう)」などが行われ、多くの見物客が祭りを楽しんだ。
母衣武者行列では、伏木、古府、川原の市内3小学校の児童と、太田保育園、高岡第一学園附属第二幼稚園の園児合わせて27人が参加。子どもたちは大将、矢担ぎ、やっこの衣装を身に着け、伏木神社(同市伏木一宮)からご神体を載せたみこしを先導した。
「廻船問屋 十七軒町」は、かつて廻船問屋の前に山車が止まると、主人が曳き子や見物客に小判をまいたという言い伝えから始まった。
正午に、JR伏木駅前にきらびやかな花山車6基が集合。塩谷雄一同祭実行委員会長や風吹さんらが各山車の上から紅白の餅と小判のレプリカをまいた。大勢の見物客は山車に押し寄せ、歓声を上げながら両手を伸ばしていた。
2016年度の総々代を務める太田滋さん(伏木中央町)があいさつし、曳き子や見物客と一緒に同祭の掛け声「イヤサー」を三唱した。
■復元の十七軒町、山車見学者どっと
高岡市の伏木曳山祭実行委員会(塩谷雄一会長)が4月に復元を終えた十七軒町(じゅうしちけんちょう)の山車が伏木コミュニティセンター(伏木湊町)に展示され、15日も伏木曳山祭に訪れた大勢の人たちが見学した。
十七軒町の山車は明治期の大火によって焼失し、2002年から山車に載せる前人形などが順次復元されてきた。ことし3月、山車のシンボルで、最上部に取り付ける法螺(ほら)貝の標識(だし)が完成。4月29日に同センターで復元竣工(しゅんこう)祭が開かれた。管理する山町は今後決める。
山車が飾られている展示室はこの日、夜間まで開放され、来場者は真新しい車輪やちょうちんなどを何度もカメラに収めていた。