福井県小浜市教委は豊臣秀吉の「唐入り(アジア進出)構想」を伝える史料「山中橘内(きつない)書状」の修復作業を終え10月31日、報道関係者に公開した。小浜藩士で江戸時代の国学者、伴信友(ばんのぶとも)(1773~1846年)が屏風の材料に使われていたのを確認した貴重な史料。市教委は11月23日から開く企画展「幕末小浜藩」で一般向けに初公開する。
この書状は、戦国時代から江戸時代にかけて栄華を極めた小浜の豪商・組屋家の史料「組屋家文書」(市指定文化財)の一つ。秀吉の右筆(書記官)だった山中橘内が北政所の侍女に書き送ったとされ、明治時代にはその内容が公にされていた。巻物の状態で1981年に寄付を受けた市教委が市立図書館で保管していたが、虫食いや劣化が激しかったため、民間の文化財団の助成を受けて、今年4月から専門業者に委託し修復作業を行っていた。
書状は縦27センチ、横2メートル60センチで、秀吉が朝鮮出兵に着手した1592年に記された仮名交じり文。出兵の戦況報告をはじめ、明(中国)や東アジア南部への交易拡大など、秀吉が口述したアジア進出構想を書き留めたものとみられる。
市教委文化課などによると江戸時代後期、組屋家にあった屏風の中間層の下張りに使われていたのが見つかり、信友が内容を確認したという。組屋家は朝鮮出兵の物資を送る商人として秀吉と関係があったとされ、何らかの理由で当時貴重品だった和紙の書状が、屏風の材料として再利用されていたとみられる。
信友は「天保の国学四大家」の一人と称された国学者。同課の川股寛享学芸員は「書状の価値が分かる信友の目に触れなければ、現代に残っていなかったかもしれない。この書状を広く知ってもらい、学問を重んじた小浜藩の風土に誇りを持ってもらえれば」と話している。
この書状を一般公開する企画展は23~29日、同市の県立若狭図書学習センターで開かれる。観覧無料。