大伴家持の歌碑の前でふるさとの歴史を学ぶ児童=羽咋市千里浜町

大伴家持の歌碑の前でふるさとの歴史を学ぶ児童=羽咋市千里浜町

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羽咋と万葉集のつながり学ぶ 羽咋小6年、家持の歌碑訪ねる

北國新聞(2019年4月19日)

 羽咋市羽咋小6年生67人は18日、同市千里浜町にある大伴家持の歌碑を訪れ、地域と万葉集のつながりに理解を深めた。新元号「令和」の出典元として万葉集が脚光を浴びる中、市教委が歌碑を「ふるさと教材」として活用しようと初めて企画した。児童は家持が奈良時代に羽咋を訪れたことなどを教わり、地域の歴史と間もなく始まる新時代に思いをはせた。
 歌碑に刻まれているのは「之乎路(しおじ)から 直(ただ)越え来れば 羽咋の海 朝凪したり 船楫(かじ)もがも」。越中国司として赴任した家持が748(天平20)年に能登巡行で気多神社に参拝した際に詠んだ歌で、万葉集巻十七に収められている。
 この日は、市歴史民俗資料館の学芸員、中野知幸さんが講師を務めた。中野さんは歌碑の前で令和の典拠が万葉集巻五の「梅花の歌32首序文」であることを説明した。万葉集編者の家持が奈良時代に羽咋を訪れたことが紹介されると、児童は驚きの声を上げた。
 中野さんは、家持が越中国庁のあった高岡・伏木から羽咋を経由して能登をたどった巡行経路や、歌碑に記された「波久比(はくひ)」などの万葉仮名についても解説した。歌に詠まれた「羽咋の海」が指す場所は千里浜から一ノ宮海岸と邑知潟の2説あるとした。
 令和の考案者との見方が浮上している万葉集研究の第一人者、中西進氏(89)がこの地で家持を思って詠んだ歌を揮毫(きごう)した碑がそばに建っていることも伝えた。
 参加した岡野泰和君と本多正樹君は「令和の元になった万葉集に載っている歌がこんなに近くにあるなんて驚いた」と話した。

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