長屋門と大手門の復元へ話し合いを進める関係者=加賀市内

長屋門と大手門の復元へ話し合いを進める関係者=加賀市内

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旧大聖寺藩邸 長屋門の復元目指し画像

北國新聞(2019年11月22日)

 加賀市のまちづくり団体「歴町センター大聖寺」は21日までに、旧大聖寺藩邸にあった長屋門と大手門の復元を目指して立面図とイメージ画像を作成した。市内屈指の桜の名所である熊坂川沿いに幅207メートル(114間)の往事の威風を再現しており、行政に提案して国内でも最大規模となる長屋門の復元にこぎつけたい考えだ。
 長屋門などは藩主が住んでいた藩邸の正面に建てられていた。大手門が幅11メートル、両脇の長屋門が196メートルで奥行きは約5・5メートル。高さは5~6・8メートルに設定した。1693(元禄6)年まで存在し、同年に焼失した後は大手門と、周囲の長屋門だけが再建され、ほかは土塀だったという。現在の錦城小前から江沼神社前にかけて存在していた。
 同年以前の藩邸図(平面図)を基に歴町センター事務局長で1級建築士の瀬戸達さん(71)と2級建築士の野田惣八さん(84)が立面図を作成。さらに業者にイメージ画像を依頼した。基礎は笏谷(しゃくだに)系石の石積み、腰は桟(さん)ざらし、壁は白漆喰(しっくい)、屋根は●葺(こけらぶ)きとした。
 大聖寺藩の歴史遺産に光を当てる活動を展開してきた歴町センターでは、1994(平成6)年以降、一里塚、時鐘堂、武家屋敷、関所、足軽屋敷を相次いで整備してきた。これまでは自前や寄付などで費用を賄っていたが、長屋門は巨額の整備費が見込まれるため行政へ整備を働き掛けていく。
 復元が実現すれば、熊坂川の右岸が桜並木、左岸が長屋門という景色を楽しめる。歴町センターでは幅207メートルは国内でも「他に例がない」とみており、北陸新幹線の敦賀延伸に向けて、旧大聖寺川での渡し船の運航と合わせ、誘客に十分寄与できると位置付けている。
 歴町センターの毛利修理事長は「大聖寺のシンボルとなるものを造りたい。観光ゾーンの創出はもとより、多くの偉人を輩出した錦城小児童の情操面でも良い施設になる」と話した。
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