戦国武将明智光秀が1570(永禄13)年4月に福井県若狭町の熊川を訪れてから今年で450年となることを記念し、町は「明智光秀書状」(熊本県立美術館所蔵)の複製を制作した。光秀が熊川到着を記した書状で、5月7日から若狭鯖街道熊川宿資料館宿場館で展示する予定。町は熊川宿の新たな観光の目玉としたい考え。
書状は細川忠興ら細川家に仕えていた三宅家(熊本市)が保管していたもの。1570年4月20日、光秀が織田信長の越前朝倉攻めの先遣隊として熊川を訪れた時のことが記されている。盟友細川藤孝ら宛てに「今日の正午、熊川に到着しました」「越州口(敦賀)と近江の北郡いずれも特別なことはありません」などと報告している。
同町の学芸員は「国吉城の古文書など信長が来たことを示す資料はあったが、光秀のはなかった。この書状により、さらに熊川が有名になれば」と話している。
また来訪450年を記念したグッズ2種類を7日から販売する。限定500枚の熊川城の御城印は、藤孝の妻麝香(じゃこう)が熊川出身であることにちなんだデザイン。缶バッジは5種類を各100個用意し、熊川の風景をプリントした。
御城印は電話やメールでの予約を受け付けている。問い合わせは町観光未来創造課=電話0770(45)9111。メールアドレスはkankou@town.fukui-wakasa.lg.jp