本能寺の変後の明智光秀と若狭とのつながりや当時の歴史状況を紹介した企画展が、福井県美浜町佐柿の若狭国吉城歴史資料館で開かれている。若狭国守護だった武田家が光秀に呼応した背景などをパネル24点で解説している。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である光秀と若狭の関係を知ってもらおうと企画した。
パネルでは、1582(天正10)年6月21日、本能寺で織田信長を自害に追い込んだ光秀に、若狭の元守護武田元明が呼応。当時若狭国の支配権を握っていた丹羽長秀の城を攻め落とした状況などを紹介している。
細川藤孝らが光秀に応じない中、武田氏が光秀についた理由として「戦国乱世の中で復権を願う地方の武将は呼応した」など、同館の大野康弘館長の解説を交えている。光秀が討死すると元明は自害、元明の家臣たちは一度敵として戦った長秀の下で働いたなどの動きも伝えている。
大野館長は「武田家は光秀に協力した数少ない家。光秀の評価が見直されている今、滅亡こそしたが武田氏らの動きにも注目してほしい」と話し、来場を呼び掛けている。
同展は1月11日まで。月曜休館で、12月28日~1月4日は年末年始の休館。