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水戸天狗党 降伏の地の敦賀で特集展 耕雲斎の嘆願書紹介

福井新聞(2021年7月10日)

 幕末に尊王攘夷(じょうい)を唱えて京都に向かう途中の敦賀で非業の死を遂げた水戸天狗党の志士らに焦点を当てた特集展示「天狗党~武田耕雲斎からの手紙」が8月3日まで、福井県敦賀市立博物館で開かれている。首領の耕雲斎が攘夷を求めた嘆願書の内容を記した冊子や、追討軍を率いた一橋慶喜に仕え、のちに実業家となる渋沢栄一の存在を紹介し、天狗党の足跡を伝えている。

 NHK大河ドラマなどで注目を浴びる渋沢栄一と天狗党の関わりを踏まえ、志士が挙兵に至った背景や足取りを知ってもらおうと同館が企画。史料60点を展示した。

 天狗党は、尊王攘夷過激派と反対派が対立していた幕末の水戸藩で、攘夷の挙兵に踏み切った一派。1864年3月に筑波山に結集し、やがて千人を超える軍勢となった。同年11月に朝廷へ尊王攘夷を訴えようと京都に向かったが、翌月に敦賀の新保で追討軍などに囲まれて降伏し、353人が処刑された。

 当時、敦賀を治めていた小浜藩の行政書類「前編(水戸天狗党一件記録)」(1864年)に、敦賀で耕雲斎が記した嘆願書の写しが載っており、慶喜側に「尊王攘夷のために来たので思いを遂げさせてほしい」と求めている。これを却下した慶喜側が示した降伏状案では攘夷に触れておらず、早急な騒動の幕引きを図ったと見て取れる。

 慶喜の家来だった栄一については「第貳號(にごう)(水戸天狗党一件日記)」(同年)で、天狗党降伏の算段がついたとして同藩がねぎらいの敦賀土産、棒鱈(ぼうだら)3本を渡したとある。さらに、別の史料では栄一のいとこ、渋沢成一郎が同藩士に敦賀の東浦で天狗党と間違われて捕まったエピソードなども記されている。

 このほか、耕雲斎が所有していた初公開の乗馬用の道具「鐙(あぶみ)」をはじめ、脇差しや陣羽織、軍扇、新保の陣屋で使ったと伝わる布団など、ゆかりの品も展示している。降伏の後に敦賀などで拘留された志士が和紙のこよりで作った茶托(ちゃたく)などもある。

 久しぶりに博物館を訪れたという男性(76)は「素晴らしい内容。新保の陣屋の展示が興味深かった」と楽しんでいた。

 同館は17、24日午後1時半から展示解説と天狗党史跡ウオーキングを企画している。要予約。参加費300円で、定員10人。22、23日には陣羽織を作る折り紙のワークショップも予定している。

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