新たに公開された「朝倉孝景書状」。日付の下の花押は孝景の直筆とみられる=2月2日

新たに公開された「朝倉孝景書状」。日付の下の花押は孝景の直筆とみられる=2月2日

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朝倉氏の初代孝景、書状に杣山合戦 義景家臣連署状も公開

福井新聞(2023年2月3日)

 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館(福井市)は2月2日、朝倉氏の初代当主、朝倉孝景(1428~81年)の書状など、新たに収蔵した資料2点を公開した。書状は、杣山(そまやま)城(現南越前町)にいた甲斐氏残党の掃討を喜ぶ内容で、同博物館は「杣山の合戦の戦況を示すものとして唯一現存する文書となり意義深い」としている。

 資料2点は「朝倉孝景書状」と「鳥居景近(かげちか)・高橋景業(かげおき)連署状」。昨年10月の同博物館開館を受け、県内在住の所有者から「新博物館の展示に使ってほしい」と寄贈の申し出があった。

 書状は縦16・1センチ、横41・5センチ。1474(文明6)年、氣比神宮(現敦賀市)の神主、東河端氏に宛てたもので、現地から報告を受けた杣山の戦況について「杣山において合戦の儀について、委細承り候、祝着の至りに候(杣山の合戦について、詳しいことを承りました。うれしく思います)」「然べき者共数輩討ち取り候の間、本望此事候(相当の者たちを討ち取ったとのことで、望み通りとなり満足です)」などと記されている。書状のサインである花押は孝景の直筆とみられる。

 連署状は縦20・8センチ、横45センチ。1573(元亀4)年、5代当主の朝倉義景が敦賀出陣中に書かれたもので、同行していた家臣、鳥居と高橋が近江の多胡(たご)氏に対し、連合を組むにあたって人質を取り交わすことを確認する内容。義景も多胡氏に対し同様の書状を出しており、家臣として念押ししたものとみられる。

 清水邦夫館長は「朝倉氏に関わる文書は織田信長によって多くが焼かれ、現存するものは少ない。2点とも福井に関わる貴重な古文書。広く公開して朝倉氏の歴史を発信したい」と話している。2点は7日から基本展示室で公開する。

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