織田信長の重臣として越前を治め、「鬼柴田」の異名を持つ戦国武将、柴田勝家の実像を紹介する特別展(福井新聞社後援)が7月29日、福井市の県立歴史博物館で始まった。勝家の武勇や統治手腕を示す資料約100点を展示。信長の死後、天下人になれなかった理由にも迫っている。9月3日まで。
勝家は信長に筆頭重臣として仕え、1575年、越前北庄を与えられた。戦上手の猛将として知られ、長篠の戦いや一向一揆平定などで数々の武功をあげた。本能寺の変で織田信長が討たれた後、織田家の跡目争いに絡んで豊臣秀吉と対立。天正11(1583)年の賤ケ岳の戦いで敗れ、妻のお市の方とともに北庄城で自害した。
会場には、勝家の菩提寺(ぼだいじ)・西光寺に伝わる太刀や馬印をはじめ、信長から拝領した青井戸茶碗(ちゃわん)などが並び、勝家の武勇や信長との信頼関係を伝えている。年貢を確定するため田畑の面積を測る「検地」を村単位の測量とするなど、当時最先端の手法で取り組んだことが分かる資料も展示。統治手腕にも光を当てている。
信長の死後、若狭の溝口家にあてた勝家の書状には「信長の考えを発展させ、家臣が相談して事を進めるべきだ」と書かれており、天下人への野心を持たず、織田家に忠義を貫き通した様子がうかがえる。