北陸新幹線(長野経由)金沢延伸開業に伴い、県の第三セクター、しなの鉄道(上田市)などに経営移管されるJR信越線長野―直江津間は、JRによる運行が13日に終了する。14日からは、長野―妙高高原間(37・3キロ)がしなの鉄道「北しなの線」、妙高高原―直江津間(37・7キロ)がえちごトキめき鉄道(新潟県上越市)「妙高はねうまライン」となる。沿線住民らは慣れ親しんだ信越線を懐かしみ、別れを惜しんでいる。
「信越線の名前がなくなると、やっぱり寂しい」。黒姫駅(上水内郡信濃町)近くに住む小林豊雄さん(72)は話す。かつては関西圏などのスキー客を乗せた夜行列車「シュプール号」の終着駅としてにぎわった黒姫駅。2006年度に姿を消すまで、駅からスキー場へ多くのバスが出発した。
駅近くで喫茶店などを営んでいた小林さんは、地元飲食店などでつくる「シュプール会」会長を務め、スキー客をもてなした。多い日には500人以上のスキー客が黒姫駅で降りた。「毎朝4時から営業し、1日に300人が来店した時期もあった。よく体が持った」
今回経営移管される長野―直江津間の1日1キロ当たりの平均乗客数は、1987(昭和62)年度に9388人だったが、2013年度には半分以下の3838人まで落ち込んだ。今はスキーシーズン中でも駅周辺の人の姿はまばらだ。小林さんは「小さい駅でも若い人が多く活気があった。路線自体がなくならないか心配だ」と漏らす。
元JR東日本社員の吉田徳房(のりふさ)さん(68)=上水内郡飯綱町牟礼=は、65年に当時の国鉄に入り、半世紀にわたり信越線など長野管内の路線を守り続ける。信越線の電化工事に携わり、長野保線区の助役、区長などを歴任。今は鉄道林(鉄道沿いの森林)を保守管理する会社の長野営業所に勤める。「北しなの線になっても陰日なたになって支えたい」
思い出深いのは81年1月の豪雪。古間駅(信濃町)に入った列車が雪で立ち往生したと連絡を受け駅に向かうと、地元消防団員ら数十人が、スコップで列車の下に詰まった雪をかき出していた。「信越線を自分たちの路線として協力してくれる姿に、目頭が熱くなった」と振り返る。
信越線の経営移管後も、吉田さんが勤める会社が北しなの線の鉄道林を保守管理する。「(沿線の)人口が減る中で利用してもらうには、安心して乗れることが一番大事」とし、「しなの鉄道や住民とも協力し合いながら、路線をつないでいきたい」と力を込めた。