駒ケ根市の下島家に残る勲の書

駒ケ根市の下島家に残る勲の書

長野県 伊那路 祭り・催し

芥川との交流...下島勲を学ぶ 出身地・駒ケ根で6月

信濃毎日新聞(2019年5月15日)

 芥川龍之介ら文人と親交が深く、書や絵の素養もあった駒ケ根市出身の医師下島勲(1869〜1947年、雅号・空谷(くうこく))について学ぶ講演会が6月1日、市内の赤穂公民館で開かれる。下島の日記を分析した横浜市立大大学院の庄司達也教授(日本近代文学)が芥川との交流を中心に解説。初公開の書や墨彩画も展示し、地元であまり知られていない下島のさまざまな顔を紹介する。

 駒ケ根市内外の文芸愛好家4人でつくる「駒ケ根文芸セミナー」が主催。これまでは伊那谷を放浪した俳人井上井月(せいげつ)に関する講演会を中心に開いてきた。6回目の今回は井月が出入りしていた家に生まれ、井月の句集を世に出した下島を取り上げることにした。

 駒ケ根市中沢に生まれた下島は13歳で上京。医師になり、日清、日露戦争に軍医として従軍。帰国後、都内で開業し、芥川の主治医となった。室生犀星や佐藤春夫、菊池寛らとも交流があった。

 庄司教授によると、下島の日記にはたびたび芥川が登場し、親密な交流がうかがえる。芥川が1927(昭和2)年に自殺した際には下島が手当てに駆け付けた。亡くなる前に下島宛てに残した短冊が芥川の最期の句となった。

 下島は晩年を生家で過ごした。下島の弟の孫で、現在生家に住む大輔さん(80)は「20歳以上年下の芥川を尊敬し、写真を生涯近くに置いていた」と振り返る。

 講演会当日は下島家で現在も使われているふすまに貼った下島の書を初公開する。下島の養子が亡くなった際に芥川や室生が贈った直筆の句や、佐藤らの書簡、原稿も展示。下島は能を習い、酒席で披露することもあったことから、上田市の女性による能の舞の披露も行う。

 同セミナー事務局の宮沢宏治さん(57)は「そうそうたる人たちと濃密な関係にあった人物が駒ケ根にいたことを知ってほしい」と参加を呼び掛けている。

 午後0時半開会。講演は同2時から。無料。問い合わせは宮沢さん(電話090・4524・1850)へ。

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