戦国時代、豊臣秀吉臣下の日根野高吉が築城した。当時、城の周囲は諏訪湖の水と湿地に囲まれていた。その姿が湖に浮かんだように見えたことから、別名「諏訪の浮城」とも呼ばれていた。3層3階の天守は明治時代初期に取り壊され、1970(昭和45)年に復興。現在は市民憩いの公園として整備され、天守内部は高島城の歴史などが分かる資料室になっている。
このページは記載施設の管理者が運営するページではありません。料金や営業時間などの情報については可能な限り正確性に配慮しておりますが、それを保証するものではございません。ご利用の際は必ず各施設にご確認ください。